演出
扉を出て廊下に出る俺と栞。長い廊下は静まり返っており、人の気配は感じられない。
「どうしますか?」
「片っ端から部屋を調べる」
「わかりました」
廊下についているドアは5つ。
一つは外から見た構造からして、別の廊下にでる扉。
一つは俺たちが出てきた居間。
一つは東館への渡り廊下。
さらには二階もあるので未探索の部屋数は7。
もう一つの廊下についている部屋はおそらく2〜4。合計で9〜11の部屋を探索。
それで4人が見つかればいいが。
見つからなかったら?…………どうすればいい?
最初に入った部屋は一階のすぐそばの部屋。
中に入ると薄暗く埃っぽい。
その中に本棚が並べられ、所狭しと本が詰め込まれている。
「暗いですね」
俺もそう思って照明のスイッチを手で探す。あった。
スイッチをONにする。
明かりはついたが、それでもまだ薄暗い。
むしろ影が濃くなり、潜んでいる者に有利な状況を与えたのでは…。思わずそんな風に考えてしまう。
「書庫か…」
「誰かいませんか?」
栞がおっかなびっくりな仕草で中に入っていく。俺も銃を構えて慎重に部屋を探索する。
……………………。
誰もいない。そして得体の知れない何かが潜んでいることもの無かった。
「誰もいませんでしたね」
「ああ。しかし…」
すごい量の本だが、そのほとんどがオカルト関係だ。
普段なら笑って終りだが…今俺たちがおかれている状況を考えると…。
…しかしどの本にも大量の埃が積もっている。
長い間人の手に触れていなかったのだろう。
適当に一冊を手にとって見る。たいして手垢で汚れていない。読み込まれてはいないようだ。
適当にページをめくってみるが、難解な用語が多くて理解ができない。かなり本格的な内容だ。
いったい何の為にこんな本を集めた?本を棚に戻す。
部屋の隅には大きな机が一つ。
ここにはあまり埃が積もっていない。おそらく最近まで使っていたのだろう。
引出しが4段ついていたので中を調べる。3段目までは他愛も無い筆記用具やらが入っていた。
最後…4段目に手をかけるが開かない。鍵がかかっているようだ。
「開きませんね…もう行きましょう」
「反対側を向いて耳を閉じておけ」
「え?何を…」
返事を待たずに栞を無理やり後ろを向かせる。
鍵穴に銃口を突きつけ指を引く。乾いた音を金属音、そして不愉快な火薬の匂い。
「開いたぞ」
「無茶しますね」
「状況が状況だからな。はさみを人間に突きつける事に比べれば可愛いもんだ」
引出しを開ける。
中にはノートが一冊入っていた。開けてみると、中は手書きで何かが書いてあった。
「…………」
見た事もない文字だった。漢字やアルファベットなどとはまったく別の形式の文字だった。
「読めるか」
「すいません。私…英語は2なんです」
「いや、英語じゃないだろ、これは」
「ほかにはサンスクリット語くらいしか…」
「何故にサンスクリット語?」
「ファンタジーでよく出てくるからです」
「そう…」
「サンスクリット語が出てくる作品、例えば…」
「聞きたくない!聞きたくない!」
逃げるようにノートに眼を向ける。
パラパラとページをめくる。途中で挿絵があった。俺はそれに目を奪われた。
それは見た事のあるものだった。
人形。天使の人形。何でこれが?
ノート閉じて懐にしまう。
冷や汗が出てくる。今の状況に天使の人形。
よく分からないがとにかく嫌な予感がする。
「胸から血が!」
「ああ…机の破片が当たったんだな。たいした事はない」
「それ…まだ持っていたんですね」
「ああ、大切なものだからな」
それは指輪だった。いつも鎖に通して首からぶら下げている。
誕生日にもらったんだよな。
喜んで指にはめようとしたらサイズが小さくて…。
栞は交換してくると言ったけど、俺は構わないって。そして肌身はなさず持っている。
あの頃は幸せだった。幸せがずっと続くと思っていた。
これ以上ここにいる理由はない。
俺たちは部屋を出た。
次の部屋はトイレだった。
周りを見ると鏡に映った自分の姿を見てしまう。
怖い。自分の姿が怖かった。
やつれた自分。ぼろぼろの自分。血に染まった自分。
少し前までは普通に友人達と過ごしていたとは想像もできない。
ホラー映画の主人公のような姿だ。
ような?違うな。
猟奇殺人。
人間用のはさみを振りかざして襲い掛かってくるぬいぐるみ。
逃げ回る男女。
親しい人が突きつけようとする死。
武器を与えられる男。
これら…今まさに自分がしている事は、それそのものではないか。不愉快な事だが。
脚本家・水瀬秋子。主演男優・相沢祐一。主演女優・美坂栞。そんなところか。
まあいい。ホラー映画の主人公をやってやるよ。
一応主人公は生き残るものだからな。
改めて回りを見直す。
構造は東館のものとまったく同じ。違うのは部屋の壁の色くらいだ。
ということはこのドアの奥にはバスルームがあるのだろう。
無残な姿になったあゆの姿が思い出される。
胃の内容物が逆流しそうだ。血が逆流するような感覚。
ドアノブにかけた手が重い。
横にいる栞の顔色も悪い。俺と同じ心境なのだろう。
それでもドアを開ける。広がるバスルーム。
目の前に繰り広がる無残な光景。だが一瞬で消えた。幻覚だ…。
バスルームには静寂。血の香も、したたりの音もない。
「誰もいないな」
「みたいですね」
普通の家の数倍はあるバスルームはただ沈黙していた。
「出ようか」
「あの」
「どうした?」
「先に出ていてください」
「どうして?離れたら危ないぞ」
「私もすぐにでますから、先に出ててください」
俺を見る栞の顔は少し赤い。どうしたのだろう。ああ…そういう事か。ここはトイレだもんな。
「これ持っとけ。引き金を引くだけで鉛の玉が音速で飛び出す。自分の足を撃ち抜かないように」
ハンマーが上がり、安全装置を外した銃を手渡す。
「はい。何かあったら大声を出しますから。助けに来てくださいね」
「あいよ」
ドアを開け外に出る。とりあえずこのドアを押さえておけば中は安全だろう。
「!!!!!!」
叫び声。扉の奥から叫び声。恐怖をあらわす声。
何があった?中に飛び込む。
考えが甘かった。例え何を言われようと中にいればよかった!
中には尻餅をついた栞。他には誰もいない。
「あれあれあれ」
駆け寄ると、手が血まみれだった。肌が見えないほどに血にまみれている。
「どこをやられた!大丈夫か!?」
「あ、あの、別に怪我は…急に…蛇口から…」
手を取る。とりあえず外傷は見当たらない。
蛇口?洗面台を覗いて見る。蛇口からは清んだ水が流れ落ちている。
しかし周囲は真っ赤な物が飛び散っている。…何があった?
「いったい何があった?」
「あの、蛇口から、いきなり」
錯乱している。埒があかない。まずはあけないと。
「栞、大きく息を吸って」
「え、息を?」
「吸って」
大きく息を吸い込む。
「吐いて」
呼気の塊を吐き出す。一部が俺の頬を撫でる。
同じ事を数回繰り返さす。
「落ち着いたか?」
「何とか」
「で、何があったんだ?」
「あの…」
ようやく聞き出した話によると、用を足し終えて手を洗っているときに急に蛇口から流れる物が水から血へと変わった。
「とにかく怪我はないんだな?」
「なんとか」
「そうか……」
「とりあえず、その血を何とかしないとな。水は出る事だし洗うか」
真っ赤に染まった腕。俺の手も同様だ。放っておいて気分のいいものじゃない。
「あの…アレを使うのは…」
「…それもそうだな」
今は流れる透明の水。変わるは赤に、同じ事が二度起きないとは限らない。
バスルームに入り、備え付けられていたタオルを大量に取ってくる。
洗面台には栓がついていない。流れる水を用心しながらタオルに吸わせる。
「じっとしてろよ」
すでに凝固しつつある血液をタオルで丹念に拭い去る。なかなか落ちない。
「あ…う…」
「…変な声だすな」
「すいません、つい」
…つい出てしまうものなのか?
「…残りは自分でやれ」
「そんな冷たいですよ」
「変な声出したからだよ」
「これも愛のなせる技です」
「俺は哀だよ…」
「祐一さん…冷たいですね」
「ようやく気が付いたのか。なんだよ、その顔は……わかったよ、最後までやってやるよ」
しかたがなく、血を拭う作業を続ける。仕方なくだ。
「しかしあれですね。私を落ち着かせるのに、祐一さんは深呼吸をさせましたけど、
ドラマなんかじゃ唇を奪って落ち着かせるのがお約束ですよね」
「ベタだな。それに俺の好みじゃない」
「うーん。女の浪漫なんですけどね。一度くらいはそういのがあってもいいじゃないですか」
浪漫ね…。この非常時に。いや…非常時だからこそ明るく振舞っている、か。
「テレビの見すぎだ。だいたい 薄幸少女、病魔より奇跡の生還 で充分おつりがくるだろうに」
「幸と少の間に美を忘れてますよ。それにこういうことは何度あってもいいものですよ」
「できるなら平穏に生きたいよ。」
「冷めてますね…。そういえば、手が冷たくないですか」
「暖かいくらいだぞ。いつもと同じ、触ってて気分がいい」
最後の言葉は余計だったか、こんな時に。
「いえ、私じゃなくて祐一さんが」
「……多少血を流したからな」
左腕を見る。今のところなんとか血は止まっている。指は動くが、そのたびに痛み、蔓延的な灼熱感。
とりあえず、ここにいる間もてば文句はない。ここにいる間は。
「あの。寒かったりしますか」
「火酒が欲しいな」
肝心な事は喋りたくなかった。とりあえず、歩けなくなるか、まともに物が考えられなくなるまでは。
「好きですねー。車の中でも大量に飲んでましたし」
「ここから出たら栞にも仕込んでやるよ」
「遠慮しておきます。しかし、仕込むってなんだかエッチな響きですね」
「しねーよ」
本当は少しだけ思った。でも理由が18歳未満は見てはいけないビデオからの連想だったので、言わなかった。
「ほら、鞭とかローソクなんかで」
「…俺にはそういう趣味はないぞ。変なテレビの観すぎだ」
「あれば即、別れ話ですね」
「………………で、火酒代わりに消毒用のアルコールなんか持ってないのか?ポケットの中にな」
「有ったら腕の傷に使ってますよ」
「それもそうだな。…眼を瞑ってくれ」
「え、ちょっと…」
唇を唇で塞ぐ。数秒、離す。栞が大きな息、熱い塊が唇を撫でる。
もう一度。今度は大人のキス。長い時間。離れる二人。
「体が熱くなった。どんな火酒よりも効くかもな」
「……さっきの話よりもこっちの方がすっとベタですよ」
「有効だから使い古されて、ベタになるんだよ」
「さっきは好みじゃないって」
「ベタだから好みじゃないんじゃない。俺は小心者でな。同意のない行為は嫌なんだ」
もう一つ。今のがキスが最後になるかもしれないしな、とは絶対に口には出せないが。
「じゃあ……許可しますから、今度からはベタなやりかたをお願いします」
「はい」
「あの時…最後まで行っちゃうのかと思いました」
「こんな場所じゃな……」
さすがに洗面所で事にいたるは……。溜まってるわけでもないし。
「じゃあベッドがあったらどうしたんですか?」
「………………………殺人気はいちゃつくカップルから優先して襲い掛かるからやらない」
「その間はなんですか?」
「さあ……なんだろうな」
「あの………帰ったら続きをしましょう」
最後は消えるような声だった。表情はうつむいているので分からないが、おそらく真っ赤だろう。触れている手が熱い。
「有り金はたいてスイートルームを用意させてもらいましょう」
少しの時間。真っ赤に染まったタオル数枚。少し赤い二人の腕。
「終り」
「男の人ってもっと血に弱いと思っていました」
「…散々もっと凄い物を見せ付けられたからな…もうこれぐらいは…」
ハラワタ。内容物。生きたままの解剖。砕け散った肉体。
おそらくこの先二度とお目にかからないものばかり。これに比べたら。
どれだけ熱いものでも、それ以上熱いものがあれば冷たいものだ。
「しかし何でもありだな。この屋敷。お化け屋敷…か」
「お化け屋敷ですか。今まで事のは全部秋子さんやお姉ちゃんや名雪さん、その他全員の仕組んだことで
他のみんなが全員見つかったところで本当の事を教えられて…」
「死んだみんなも笑って俺たちの前に現れて…だな」
陳腐な話だ。ドラマなんかでやったらイスを投げつけてやりたいだろう。
陳腐だ。でも…幸せな光景だ。
今、俺たちがしている事は、他人から見たら滑稽で、無様だ。
………暗くなってるな。落ち着け。
「はい。それで私達は物凄く怒るんですよ。どれだけ怖かったか、悲しかったって」
「そうだな。今…本当のことを言ってきたら、怒らないで、笑って、ちょっとだけ泣いて、許してやるんだけどな」
「私はちょっとじゃなくて沢山泣きますよ」
「栞が?」
「嬉しいときは沢山泣くんですよ、私」
「じゃあこれからは俺も沢山泣くようにしよう」
「それがいいですよ」
「…………」
「…………」
沈黙。
「行こうか」
「はい」
部屋を出る。
分かっているんだ。もう…沢山泣く事はない。
今までの事は全部、本当の事。
笑う事もない。
沢山死んだから。ただ…悲しい。
空洞。亀裂。虚無。心に。
次の部屋。
いつも通りに警戒しながらドアを開ける。
真っ暗だ。ほとんど何も見えない。外からの光では中がうかがえない。
ドアの周りを調べるが明かりのスイッチらしき物はない。
「誰かいるか?」
静寂。
「栞。こんなこともあろうかとポケットに何か明かりになるものはないのか」
「ありません」
「……次だ」
「了解」
中に入れば何かあるかもしれない。でも代価は命かもしれない。虎穴。
次の部屋は書斎だった。
暖炉。長椅子。キャビネット。絵画。シャンデリア。その他。
絵に描いたような風景。
「絵に描いたような風景ですね」
となりで声。俺が心で描いていた書斎の風景は間違ってはいないようだ。
絵には人は描かれていなかった。空気が冷たい。
「あ、机の上にランプがありますよ。これであの部屋を調べられますね」
「……………都合がいい」
くらい部屋。隣の部屋に明かり。都合がよすぎる。話ができすぎている。
さっきはホラー映画かと思ったが、ゲームか、これは?俺たちを躍らせているのか?
殺そうと思えばいつでも、最初、二度目、薬を盛られたとき、三度目、いつでも殺せたはずだ。
考えてみれば西館に来てからかなりの時間がたっているのに一度も襲ってこないのも不自然だ。
道を作り、照らし、エサをばら撒く。最後にどうなる?
あの人は何がしたい?
胸に手。紙の感触。あの人形が描かれたノート。
この悪趣味なゲームには何か意味がある。何が?
わからない。ピースが足りない。
「どうしたんです?怖い顔して」
……何があろうと関係ない。生き残る事が全てだ。
「いや…その辺に飾ってある絵は売り飛ばしたら幾らになると思ってな」
「泥棒はいけません」
「はいはい…でも巨大ハサミ振り回すのに比べれば可愛いもんだが」
「じゃ、次いきましょう」
虎穴にランプ片手に入る。
危険が多いので栞は部屋の外で待たせた。
ランプの光はそれほど強いものではなかった。
光は部屋の一部しか俺たちに与えてくれなかった。もしここにアレが潜んでいたら格好の的だな。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
襲われる気はしない。ここで、暗闇からの不意打ちで、俺が襲われたら絵にならない。
それでは観客は喜ばないだろう。だからおそらく襲われない。
もっと凝った演出と場所で襲うだろう。ここでは暗闇を使った幕間演出程度しかない…はずだ。
「…………」
畜生!頭では分かっていても足が震える。早くここから出たい。
探索開始。部屋はかなりの広さを持っていた。
「!!」
危うく声を出しそうになった。弱弱しい明かりが嫌な物を照らす。
目を凝らす。声をだす必要はなかった。
最初に照らし出された物は逆さ釣り。
次は血まみれ。
ばらばら。
首なし。
普通5。
全部マネキンだ。
あゆ。
天野。
真琴。
名雪。
普通でないのは彼女達をあらわしているのだろう。
これを信じるなら、まだ会ってない人たちは無事になるが…。
これは何か意味があるのか、単なる演出か…。
「で、いつまでそうやってる気だ?」
普通6番目のマネキン。
「気づいてたんなら早く言いなさいよ」
「…いつまでその間抜けなポーズをしているのかを見届けたくてな、香里」
一番端っこのマネキン―香里―が動き出す。
「悪趣味ね。ま、とりあえず生きててよかったと言っておくわ」
「よく言われる。なんでそっちから声をかけなかったんだ?」
「誰だか分からないのにうかつに声をかけられるわけないでしょ。あとそれから…」
声は最後で口ごもった。確認しなければならないが、真実を聞くのが恐ろしくもあるのだろう。
「栞は扉の前で待機中。行って喜ばせてやれよ。感動のご対面だ」
「言われなくてもそうするわよ」
言葉はぶっきらぼう。表情は満足。
「だろうな」
「相沢君」
「なんだ?」
「あの子を守ってくれてありがとう」
「たいした事じゃない」
頭を深く下げてから香里はドアの外で待つ人の元へ。
俺はこの場に留まった。感動の再会を邪魔するほど野暮じゃない。
外からは
「あら、生きてたの」
「祐一さんが守ってくれたんですよ。すごく格好良かったんですよ」
「物好きなことね」
などと話が漏れ聞こえてくる。
改めてマネキンを見てみる。非常に精巧なできだ。小道具にしてやりすぎだ。
さて…あと何人かが死んだら、ここのマネキンも死んだ格好に変わるのかね。
本当に凝った演出だ。もしかしたら外の感動の対面もゲームを盛り上げるための演出かもな。
ここで粘って、マネキン破壊に来た奴に鉛球をありったけぶち込むのもいいかもな。
………ネガティブになってるな、俺。
「感動のご対面は終了したかね?」
「別に感動じゃないわよ」
「そうだったな」
「しかし、明るいところで見ると…満身創痍ね」
ぼろぼろの服。傷。真っ赤。まさに言葉どおりだ。
これを見ても冷静でいられる香里は、肝がすわっているのか、鈍いのか。
「ほとんど人様のだ。俺自身はたいした事はない。被害金額は大きいがな。およそ5万だ」
「ご愁傷様」
「どーも。ま、その代価はお前さんの妹の体で払ってもらうからいいとして」
「…いいながら栞を後ろから抱きかかえるのはやめなさい。私のいる所ではね」
「仕方ない…ロハにしておいてやろう」
大きく肩をすくめて、できるだけ恩着せがましくならないように呟く。
「恩着せがましい…」
「あの、私は構わないんですけど」
「名雪が死んだそうね」
「ああ。助けられなかった。苦しまない死に方だったのがせめてもの救いだ。」
「冷静ね」
…冷静……か。
「さっき思いっきり泣いた。それに家族と栞の前以外で泣きたくない」
「……私もよ」
悲しい顔。触れれば、慰めの言葉をかければ泣き崩れそうな顔。
「……俺、少し遠くに行ってくるか?」
「危ないからいいわよ」
「これ以上葬式に必要な棺桶の数を増やさないようにしないと」
「そうね」
「俺たちも棺桶に片足を突っ込んでる身だ。しかも何回も奥へと引っ張られている」
「同感ね」
「三途の水際を歩いていると言い換えてもいいな。で、提案」
「聞きましょう」
「車を確保してある。香里と栞は先に安全圏まで行って警察を呼んでくれ」
「却下」
「駄目です!」
「でもな…」
「祐一さんはどうするんですか!?私達が車で逃げたらどうやってここから出るんですか」
「天野と舞と佐祐理さんを見つけ出す。その後は徒歩で安全圏まで…とりあえず携帯が使える場所まで行くよ」
「一人じゃ危ないです!」
「別に自殺願望があるわけじゃない。死んで北川あたりに――あいつはいい奴だった――なんて言われるのはお断りだからな」
「歩いてここから逃げられがありません!るとにかく駄目です!!!」
どうしたものか。確かに現在位置もわからない、人里遠くはなれたここから歩いて逃げるのは難しいか……。
だがこのまま3人固まっていてもしかたがない。
「わかったよ。早いところ3人探してここを皆で出よう」
「最初からそう言えばいいんです」
扉を開けた瞬間、三人そろって顔をしかめた。酷い匂いが鼻をついたからだ。
「臭いですね」
「そうね。何の臭いかしら?」
「さあな」
嫌なにおいだった。不快感を催すような。
腐臭。死体の臭い。
すぐに思いついたのはそれだった。口には出さなかったが。
俺は用心しながら中に入り、照明のスイッチを手探りで探す。……あった。カチっと音が鳴り、部屋が明るくなる。
最初に目に付いたのは、理科室にあるような薬品棚だった。
そしてそこに並ぶ無数のビン。その透明なビンに入っている物には見覚えがあった。特徴的なオレンジ色
あれは………ジャムだ!堺雅人の声で
背筋に冷たい物が走る。今まで口にしていた物がこんな所にある。やはりアレは真っ当な代物じゃなかった。
自分の手を見つめる。俺は………大丈夫なのか?香里も顔色が悪い。俺と同じ考えをしているのだろう。
そんな中、ジャムを口にしたことがない栞が薄気味悪そうに部屋の中を眺めていた。
「気持ち悪いところですね」
栞の言葉で気を持ち直した俺は、他の場所も眺め見る。
言葉のとおりだ。わけのわからない物が大量に積み上げてある。異臭もここからきているのだろう。
部屋をくまなく探しても誰もいない。まあ好き好んでこんな場所にいる奴もいないだろう。
探索を終えてドアに向かったときだった。
「…………ゥ……」
全員の動きが止まり、一斉に首が後ろに向く。
今の音を聞いたか?
眼で語り合う。
後ろにあるのは……泥のような……腐肉のような……嫌な色の山だった。
意を決して近づいていく。物体の山が微かに動く。この中に。
…………やるしかない。思い切って手を突っ込む。
ヘドロ(?)の中に手を突っ込んだかのような嫌な感触。さらに奥に手を入れると、何か硬いものにぶち当たった。コレだ!
それを掴んで引きずり出す。
「おまえは…………」
「北川さん!」
塊の中にまるでぼろ雑巾のように埋め込まれていたのは、北川だった。
体中に打撲と擦り傷をつけた姿が痛々しい。
さらにご丁寧にも猿轡をはめられ、手足を太い縄で縛られている。
「!!!!!!」
「今ほどいてやるからわめくな」
四苦八苦しながらようやく縄をほどき終える。
「助かった」
「で、どうしてお前がこんな所にいるんだ?」
「話すと長くなるんだが……俺が大いなる浪漫を求めて日本海を散策しているときだった……。
早朝、荒々しい波間を見ながら歩いている時に突如目の前に現れたのが……侍だった」
「分かったから手短に話せ」
「そ、そんな…」
「いいから要点を言え」
「つまり、水瀬のおふくろさんに拉致されて今にいたるわけだ」
「よくこの中で息ができたな……」
「まあなんとかな。すまんが足が言う事を聞かない。手を貸してくれないか」
手を伸ばす北川。その手には包帯が巻かれている。よく見れば頭にもだ。
「しょうがないわね」
……………頭と……………手?
「待て香里!!」
俺は大声を出して香里に訴えた。
「どうしたのよ?早く助けてあげないと」
「いいからこっちにくるんだ!!」
俺はすでに拳銃を構え銃口を北川の心臓に向けている。
「最低の演出だ。悪趣味の極みだ!反吐が出る!」
「祐一さん!何を考えているんですか!?」
「どうした相沢…。早く起き上がらせてくれよ」
「そうよ」
俺はすり足で間合いを近づける。
確実に拳銃の狙いを定められる位置。そして北川が飛び掛れない位置だ。
「ああ…。助けてやるよ。その右手と頭に巻いてある包帯を取ったらな!!」
香里の表情に驚き。
その場所には覚えがあった。頭と右手。さっき俺が鉛の玉を音速でぶつけた場所だ。
心拍数があがり、蛇のように血管がのた打ち回る。
「何言ってるんだよ相沢?」
乾いた銃声。北川の足元に45口径の穴があく。心拍数がさらに上昇する。
「余計なことを喋るな!そして余計なことをするな!」
「祐一さん!」
栞が不安な顔で俺を見る。
「冗談はよせよ」
「冗談じゃない!説明しろ!」
北川に不自然な態度はみえない。いつもの北川だ。しかし…。
「そんなことどうでもいいだろ」
「もう一度だけ言う!説明だ!次は当てる!」
呼吸が荒くなってきている。息苦しい。胸が苦しい。
「だいたい俺を撃てるのかよ」
「撃てる!」
「酷い奴だな…友達だろ」
「俺は友達は撃たない。俺を好きでいてくれる人は絶対に大切にする。
北川は俺のいい友達だ。一緒にいて気持ちのいい奴だ。周りに対して気遣いをできる男だ。
友人のいない俺に最初に声をかけてくれた!」
北川は俺にとっていい友人だった。
「嬉しいこと言ってくれるな。俺も相沢がいい奴だと思ってるぜ」
「黙れ狗!!」
「狗!?」
「鎖に繋がれ、主人に尻尾を振り、番をする!
貴様は俺の知っている北川じゃない!
たんなる狗だ!!
だから貴様を撃てる!」
「相沢…」
「狗が北川の口で語るな!殺すぞ!」
「…怖いな。だけどな相沢。そういうセリフは手と足が震えてないときに言うもんだぞ」
「…黙れ!」
怖い。手足が震えているのは当然だ。俺は今、友人を殺そうとしている。
それが友人の姿をしていても、違う者になっている事も頭では理解できる。
だけど怖い。友人を撃つことが……。そして…………こんな物で殺せるのか。
「わかったよ。俺の負けだ。説明するよ…」
少し緊張が緩む。そして湧き出る僅かな希望。もしかしたら、全部俺の勘違いで…俺は北川に平謝りして…。
「これでいいのか」
包帯が俺たちの前に投げ出される。
「ッ!」
「北川…」
頭には穴が空いていた。周囲は半分腐りかけたような嫌な色。そして火傷。
「おかしいだろ。こんなになっても死なないんだ。いや死ねないんだ」
…秋子さんのなしえる技、魔性の技なのだろう。俺の言ってたとおりに北川は狗になっていた。
放心から立ち直って顔をあげる。その時初めて気が付いた。
北川が香里との距離をじわじわとつめていた事に。
「よせ北川!!」
反射的に拳銃を北川に向ける。
パンッ!乾いた爆裂音。右腕に衝撃。
目の前で北川の頭の四分の一が破裂する。香里に北川の肉片が飛び散るのがスローで見るかのようにはっきりと見えた。
「………え?」
「北川君?」
当てるつもりはなかった…。
脳漿をぶちまけながら床に倒れこむ北川。動かない。
「え?北川君?」
香里が北川の遺体に手をやる。………動かない。
「なあ栞…俺……当てるつもりなんてなかったんだ……」
「………」
「殺すつもりなんて……全然……だってよ……友達だぜ……」
「……祐一さんは悪くないです」
「やめてくれたら……撃つつもりなんて……なかったんだぜ」
こめかみに硬いもの。熱いもの。銃口。これ以上この最低の舞台に立っていたくない。
「もういい。もう……いいんだ」
「祐一さん!駄目です!それ以上自分を追い詰めないで!」
パン!
頬に痛み。舞う血しぶき。
誰かが腕を掴んでいる。足がもつれる。転地逆転。倒れた。
目の前が暗くなっていく。
なんでよく見えないんだろ?なんで足が……立ってるのがつらいんだ?
あれ……もう……膝が…地面に。視点が低くなり北川がよく見える。
よく見えないけど北川が動いてる……。その手が香里の首に回って。
鈍い音がしたような気がした。
「!!!!!!!!!!!!!!」
隣で叫び声。でもだんだん聞こえなくなってきた。
泣かない。
笑えない。
悲しい。
もう一つ…もう一つ…もう一つ…。
目の前が……ま…っく…らに。