終りの終り
「佐祐理さん。あの女がどこに行ったかわかりますか?」
「えっと……あの魔女が出てきそうな部屋です」
「そうですか」
俺は上手くバランスを取りながら立ち上がった。行かないと。
歩く。左手が無いと…歩きにくい………。
「痛っーーーーーーー!!」
無様に転んだ。左手に激痛が走る。無様だ。無様だ。無様だ!!
包帯に赤い染みが浮かびがる。負け犬の紋章だ。
「祐一さん!!無理したら駄目ですよ!血を大量に失っていますから普通に動けませんよ!」
そうか…妙にふらつくと思ったら…出血のせいか。
「大丈夫ですよ……これくらい。あ、それ取ってもらえます」
「これは…」
それは鍵の掛かった引出しから奪ったノートだった。佐祐理さんはそれを食い入るように見ている。
「読めるんですか?」
「少しですけど」
「この部分の意味はわかりますか」
あの天使の人形の挿絵があったページだ。
「えーっと……色々書いてありますけど、簡単に言えば、この人形には大きな力が秘められている」
「力…ですか」
納得できる話だ。たしかにアレには奇跡を起こす力がある。
「はい。ただ…こうも書かれています。必要分には足りないと」
足りない?アレだけの奇跡が起こせるのに足りない?
あの女は何がしたい?真っ当なことでないのは確かだが。
「あと、保管場所が書いてありますね。儀式の部屋の隠し金庫の中だそうです」
儀式の部屋?ああ…あの女が向かった先の事か?
「俺は行きますから。佐祐理さんは先に帰っていてください。安全は保障してくれたそうですからね」
「祐一さんも行くんですよね」
「俺ですか?用事を済ませたら帰りますよ」
「あの子を助けに行くんですか?」
「そんなところです」
「祐一さん…こんな言い方をしたら怒るかもしれませんけど、佐祐理は言います」
「何ですか?」
「このまま行っても殺されるだけです。それに、助けるべき人はもう……」
死んでいる。かもな。
「いいんですよ」
「そんな!」
「俺には帰るところなんて無いんですよ。あの家にはもう誰もいないんだから。家に帰っても誰も俺を迎えてはくれないんですよ」
もう…家に帰ったら暖かい声で迎えられる事は無い。
もう…朝、大量の目覚し時計で起こされる事も無い。
もう…夜中、いたずらをされて眠りを邪魔される事も無い。
何も戻ってこない。何も残されていない。全部無くなった。
残ったのは思い出だけ。与えられたのは憎悪だけ。
「だから栞が99%死んでいるとしても、殺されるにしても、行った方がいいんですよ」
でないと生きている意味がない。このまま帰っても……死んでいるのと一緒だ。いや…死んだ方がマシな生き方をする事になる。
「でも…」
「じゃ、行きます。佐祐理さんは先に帰っていてください。これ車の鍵です」
「佐祐理も一緒に行きます」
「駄目ですよ、佐祐理さん。弁当持ってピクニックに行くわけじゃないんですよ」
「わかってます」
「はっきり言って、邪魔になる可能性が高いんですよ」
「でも、祐一さん…その…さっき…殺すと」
「この期におよんで平和的に解決しろって言うんですか?馬鹿らしい。脳みその代わりに蜂蜜でも詰まってるんじゃないですか」
「っ……」
…佐祐理さんの顔が一瞬曇る。俺…初めて佐祐理さんにキツイ言葉で話したな、今。
……心が荒んできている。
「もしここで祐一さんを一人で生かせたら…舞に怒られてしまいます」
「……………好きにすればいいですよ」
追い返すのは諦めた…。この人の性格からして、これ以上説得しても無駄だろう。
俺は黙って部屋を出ようとした…が、視界が揺れた。
痛み、息が止まる。床には這いつくばっている自分がいた。まだ視界が揺れている。
「祐一さん!!」
ちくしょう!一度ならず二度までも。俺は歩く事もできないのか!
「お願いです。少しだけでもいいから休んでください」
「………わかりました」
俺はそのままベッドに寝かされた。ようやく視界が正常になる。
「すいません…佐祐理さん。ノート、他のページも読んでくれますか」
薄汚れた天井を見ながら、横に控えている佐祐理さんに言った。
「何もしないのは…不安なんですよ。すいません、勝手な事ばかり」
「いいんですよ」
話によると、あの女は魔術を学んでいたようだ。
カエルはその産物らしい。魔力によって生かされつづける人間。哀れな存在だ。
そしてそれを殺す方法。それはエネルギーの供給を絶つ事だ。
エネルギーの供給源は、この先にあるらしい時計台。それを止めればいいらしい。
だが、どこを見ても、あの女が何の目的でこんな事をしたのか……。
大切な人を生き返らせるため。再び会うため。
秘密部屋の物体は棺桶だったんだ。
あのカエルはその道具だ。自分の娘を道具にした。
ぬいぐるみの中身は名雪だ。北川と二人で入っていたんだ。
狂っている。
部屋についた。
「これが隠し金庫か……」
棚を動かすと確かに金庫があった。ダイヤル式の鍵がついている。ノートにあった通りだ。
じゃあダイヤルロックも…。右に5…左に15…右に17…左に5…そしてマスターキーを…開いた。
中には確かにあの人形が入っていた。それを祭壇の上に添える。
機械音があたりに響き渡る。床が開き簡素なエレベータが現れる。
二人でそれに乗ると動き出す。
低い機械音を響かせながら下へと向かっていく。
ついた先は洞くつだった。かなり広い。大型のトラックが来ても充分に走れそうだ。
しばらくすると迎えがやって来た。もっとも人ではなかったが。それは大きな犬だった。3匹いる。
種類はよく分からないが、戦闘に最適な種類なのは間違いないだろう。あの女の番犬か…。
「斬られた腕を持って来ればよかったですね。餌食ってる間に先に進めたのに」
「こ、こんな時に何を言っているんですか」
「それもそうだ。佐祐理さん、下がっていてください」
唸り声をあげ、強烈な殺気をぶつけてくる。
「犬が……」
最初の一匹、一番体の小さい犬が飛び掛ってきた。
牙をむいて俺の喉元に噛みつこうとしてきた。粘膜に包まれ牙が視界に入った。
「……………」
腕をなぎ払った。拳銃の底の部分が猛犬の頭部を強打し、吹き飛ばす。
「!!!!!」
犬が大声をあげ、怒りを振りまく。俺に対してだ。
だが次は無かった。頭に45ACPをぶち込まれて、二度と飛び掛る機会は与えられなかった。
頭を爆裂したかのように、辺り一面に飛び散らしたのが、犬が最後にこの世に関与した事だった。
「弾が当たれば死ぬ。楽でいい」
隙を突こうとしたのだろう。横からもう一匹が飛び掛ってきた。
近すぎる、先ほどのように叩き落す事は出来ない。
「っ………」
体を動かし、左腕でガードするのが精一杯だった。
最も左腕はいらないから、噛みつかれようがどうでも良かった。痛みが走るだけだ。
こめかみに銃口を突きつけて引き金を引く。死ね。
もう慣れた乾いた音と、適度な反動。
そして鈍い音。
頬に湿った物が降り注ぐ。
死んだ、最初の一匹と同じように頭を撒き散らして死んだ。
「ハハハハハハハハ!……あと一匹」
そいつは逃げようとしていた。勝てないと思ったのだろう。
「死にたくないなら最初から掛かって来るな!!!!!!」
弾丸は胴体に当たった。吹き飛び、無様に這いずり回っている。
恐怖の色が見える。俺がどんどん距離をつめているからだ。
獣の眼が俺を見る。慈悲でも乞おうというのだろうか、卑屈な瞳だ。
「……………」
靴を全力で犬の口に叩き込む。助けてやるつもりは毛頭無かった。
いや…どうせほっといても死ぬんだから、わざわざ殺してやるだけ親切というものだ。
「!!!!!」
口から折れた牙と、血と、わけのわからない悲鳴をあげた。
最後に思いっきり頭を踏みつけたら動かなくなった。もうお終いか。
もう動くものはいなかった。
「尻尾振ってりゃ死なずにすんだのに。犬らしくな」
全てが終わったので、佐祐理さんの方を気にすることにした。
無事だ、怪我は何もない。
それよりも気になったのが、俺を見る眼だ。
怯え?恐怖?嫌悪?
「だから言ったじゃないですか…来ない方がいいと」
「……………」
返事は無い。まだあの眼で俺を見ている。
「俺、もうこんな風にしか出来ないんですよ。まだ本命が残っていますからね、もっと酷い事をすると思いますよ」
その時、俺は何をするだろうな。
「もっとも、それまでに殺されなかったらですけど。今からでもいいですよ、帰るの」
その方がいい。俺は、もしも佐祐理さんが殺されそうになったとしても見捨てると思う。
自分が壊れているのがわかる。
「ゆ、祐一さんを一人にするわけにいきませんから」
「好きにすればいいですよ」
しばらく進むと道が二方向に分かれていた。
どちらに行けばいいのだろう?そう思って道を見たときだった。
今までは薄暗くてよく分からなかったが、注意してみたので分かった。
俺たちが歩いていた道の所々に赤い点が散らばっていた。
そしてそれは左の道へと続いていた。これは誰の血だ…?行くしかない。
その先は一本道だった。相変わらず赤い斑点が道に散らばっている。
そこには人がいた。それは俺のよく知っている人だった。
「天野!!」
酷い有様だった。服は真っ赤に染まり、対称的に肌は青い。
「佐祐理さん、すぐに手当てを」
傷は腹の辺りだった。深かった。腹圧で腸がはみ出している。猛烈な血の匂いだ。
佐祐理さんはすぐに手当てを始めた。手を消毒して、内臓を腹に戻そうとする。
「無駄……です」
蚊の泣くような小さな声だった。
「まだ助かる。喋るな」
「自分の事は……自分が一番よく…分かります。助から……ない人間を助けよう……とするのは、偽善ですよ」
「馬鹿な事を言うな!死なせてたまるか!」
「話が…あります」
「手当てが終わってからだ」
「お願いです!もう……これが最後ですから」
「………………」
本当は俺にも分かっていた。
辺りを染めた血の量。そして……天野に触れたときの肌の冷たさ。
「佐祐理さん…もういいです」
佐祐理さんは手当てをするのを止めた。佐祐理さんは分かっているんだ。1%でも助かるなら佐祐理さんは絶対に諦めないから。
「犯人は…水瀬のおばさんです」
「ああ」
「真琴は…無事ですか?」
「安心しろ。安全な場所にいる」
こう言うしかなかった。死を目の前にした人間を絶望させる事は出来ない。
「そうですか…もう…思い残す事は……ないですね。傷が痛むんで…喋るのやめます」
天野は眼を閉じた。苦痛で顔が歪んでいる。死への過程だ…。
あとは何を言っても喋らなかった。死を受け入れたようだ。
最後に聞いたのはこれだった。
「とどめは…………いるか?」
天野に人生に残されたのは苦痛の中で死を待つ事だけだった。だったら……。
天野は頷いた。
上着を脱いで天野にかぶせる。そして銃口を心臓に当てた。
頭を撃ったほうが良いのかもしれない。でも……それは嫌だ。
友達が…自分の撃った弾で、辺りに血肉を撒き散らすのは…嫌だ。
「さよなら」
引き金を引いた。弾丸が心臓を突き破る。
分厚い上着を被せておいたので、血は辺りに飛び散らなかった。
慣れたはずの銃の反動が、酷くいやな物に感じられた。
死に顔は安らかだった。真琴が生きていると信じていたからだろう。
「全てが終わったら…真琴に会わせてやるからな」
俺は天野を絶望させたくなくて、真琴が生きていると嘘をついた。
でも本当は……天野に罵倒されるのが嫌だっただけなのかもしれない。
俺は最低の人間だ。
道を戻り、今度は右の道を行ってみた。
エレベータだ。時計台への入り口。俺たちの最後の到着地点。
ボタンを押すと機械音が響く。最後に使ったのはあの女なのだから、下に降りてくるまで待たないと。
チン。エレベーターが到着した。扉を開けて俺たちを迎え入れようとする。
簡素なエレベーターだった。ボタンが4つあるだけだった。
上りと、下りと、開閉ボタンだった。上りのボタンを押す。
「これで……最後ですね」
「ええ……最後です」
俺は懐に手を入れて鎖に手をかける。思いっきり引っ張って鎖を引きちぎる。
音を立てて指輪が転がり落ちる。
「祐一さん…落としましたよ」
「すいません…屈むの辛いんで拾ってもらえますか」
「はい」
「俺の大切な物なんですよ。鎖が切れたらしい」
「指輪ですか…どうしてはめないんですか?」
「サイズが合わないんですよ」
「今度からは落とさないでくださいね」
落とさないと佐祐理さんが持ってくれないから。
「!!!」
次の瞬間には佐祐理さんはエレベーターには乗っていなかった。突き出した。
扉が音を立てて閉まる。これでいいんだ。
一人で考える。どこまでが幸せだったのだろう。
一人で考える。俺はどうしてこんなに弱いのだろう。
一人で考える。いつから狂いが生じたのだろう。
最初から俺は踊らされていた。あの家での幸せは全て演劇。
気がつかなかった俺が一番間抜け。
エレベータが止まった。目的地だ。拳銃のそこでボタンを叩き潰す。これで佐祐理さんは来れない。
そこは簡素な場所だった。板張りの床に大きな時計の機械がついているだけだった。
そしていた、あの女が。
「遅かったですね」
「栞はどこだ!?」
「そこに」
秋子さんの指さした場所に栞はいた。ベッドに寝かされている。
駆け寄り肩に手をかける。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
首が落ちた。足元に転がっている。俺の大切な人が。愛しい人が。転がっている。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
拳銃を向けて引き金を引く。だが弾は当たらない。化け物が邪魔をした。
「離せ化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!化け物!」
銃を撃った。軽くのけぞっただけで俺を掴んでいる。駄目だ!時計台を!
必死で暴れたが拘束は緩まない。このまま死ぬのか!
心を絶望の黒が覆いかけたときだった。辺りにおおきな機械音が響きだした。
「佐祐理さん!!」
階段を上ってきたのだろう。佐祐理さんが時計台を動かしてくれた。もう、ここにいるのは化け物じゃない!
「この女!!」
秋子さんが佐祐理さんに襲い掛かる。みぞおちに拳を打ち込まれ、倒れた!
「!!!」
畜生!まずはこいつだ!狙いを定めて引き金を引く。放たれる銃弾。
カエルの……いや、名雪の眉間に性格に命中した。
名雪は死んだ。忌まわしき呪縛から解き放たれた。俺の銃弾で。
次だ!だが、一瞬で手にした拳銃を払いのけられた。音を立てて転がる拳銃。
次に飛んだのは俺の体だった。あごを思いっきり殴られたらしい。
脳震盪をおこしたらしい、動けない。強い。
女はハサミを持っていた。そして思いっきり俺に向けて動かした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
左足が落ちた。失った。切り落とされた。
「は……は……は……」
身を焼く痛みが意識を奪おうとする。必死で抵抗した。
「最後の最後まで頑張ってくれましたね。全て予定通りです」
「娘を殺されたのもか!?」
「もう用済みですから。あなたと同じですね。あの日…あなたがこの町にやって来たあの時から」
最初から、最初から、全て、あんたが!!
「大きな力を見つけたあの時から私はずっとこの日を思っていました。奇跡の力…魔力を必要量に増やすこの計画を」
増やす?
「一人の女の子が持った力が、彼女に宿った力が、大きな感情の起伏で膨れ上がるこの日を。あの人に会える日を」
だから殺したのか?恐怖を与えるために。
「言い残す事はありますか?」
「殺してやる。あんたの喉笛に噛み付いて引きちぎってやる」
懐に手をやる。掴んだのは短い鉄の棒だった。
それを女の腹に思いっきり突き出す。
女はやれやれといった感じで腕を掴む。棒がとどく事はなかった。
パン!
信じられない、といった顔で秋子さんが俺を見る。腹部から血を噴出ながら。
女が倒れる。今しかない!
喉笛に食いつき…引きちぎった。口の中に血の味が広がった。口の中の物を吐き出す。人肉を味わったのは初めてだった。
手に持ったパイプを離す。最後の切り札だった。短い鉄パイプに弾丸を込めて、打ち出す(倉庫で製作)。
女が倒れている。激しい出血。今までの事を考えると、あまりにも呆気ない気がする。
「あなた……今…会いに行きます」
言葉を吐き出すと同時に口から大量に血を吐いた。そして、それっきり動かなくなった。
死に顔は安らかだった。待ち人に会いに行ったから。
死んで満足するなら、最初からそうすれば良かったのに。こんな事をしないで。
でも…少しだけ分かる。少しでも希望があるならすがりつくのは。俺も今、ここにいるんだから。許す事は出来ないが。
終わった。全て終わった。何もいい事はない。誰も救われない。でも終わった。
終わらないよりはずっといい。
足を見る。左手に続いて失われた左足。大量の出血が池を生み出す。痛みすらほとんど感じない。
ああ……俺は死ぬんだな。
俺は這った、愛しい人の側に近づくために。
僅かに動くたびに体の感覚が弱まっていく。それでも這った。そしてようやく辿り着いた。
「首だけに……なっても……お前は綺麗だな。とても…綺麗だ」
懐に抱き寄せる。とても重かった。
どうして…こんな事になったんだろう?
あの時…俺が雪の街にやって来たあの時から、今日に向かって生きていたのかな?
秋子さんは幸せになりたかった。
だから自分のために、こんな事をした。自分のために他人を殺した。
それが幸せのためだからだ。
俺の幸せは今までの生活だった。
あの街…あの家で…暮らして、俺は幸せだったな。とても幸せだった。
例えあの家での出来事が偽りだったと分かった今でも、そう思う。
幸せと幸せがぶつかって、何もなくなってしまった。何もかも壊れた。
皆…死んでしまった。佐祐理さん以外。俺がこの街で生きた…偽りではない、生きた証明がいなくなってしまった。
俺が…もっとしっかりしていればよかったんだ。
俺はいつも駄目な男だ。駄目じゃない男になりなかったな。
視線を上げる。佐祐理さんが視界に入った。
このまま這って近づき、起こしあげ、治療をしてもらう。助かるのかもしれない。
でも……いいや。もういいや。
拳銃には都合よく弾丸が一発残っていた。もう沢山だ、あの女のシナリオに踊らされるのは。
あんたの思い通りにはならない。このまま殺されはしない。
銃口をこめかみに当てる。今度は邪魔する人はいない。俺は自分の死に様は自分で決めた。引き金を引く。
カチ…………。
………………………生きてる。
「くそったれ!!」
不発。役立たずを床に投げ出す。ぬめった音を立てて血の池に落ちる。
「最後の最後まで……踊らされた」
愛しい人の首を抱きしめる。口付けをしようとしたが、体が動かなかった。
意識が、体中の感覚が全て遠のいていく。僅かにあった痛みすら感じなくなってきた。以外に楽だな。
無念は残ったが、恐怖はなかった。生きていても意味がないから。全て終わったから。
ほとんど見えなくなった眼が動く物をとらえる。佐祐理さんだ。
こっちに近づいて来る。何かを言っているようだが、わからない。聞こえない。
「……ぁ…………ぅ……」
何かが口を出たが…自分でもよく分からなかった。
俺は最後に……何を言ったんだろう。
最後くらい、自分勝手な事を言ってなければいいんだけど。