序章・真琴の提案

 

「肝試しだー?」

日本のにおいがする畳じきの部屋でのんびりと茶をすすっていた祐一に真琴が提案を持ちかけてきた。

ここには…街から電車で2時間ほど離れたこの温泉旅館にはKANONキャラが全員そろっていた。

つい先日、秋子さんが商店街の福引で当てた温泉旅行を当てた。それの招待人数は4人…水瀬ファミリー分だけだった。

しかし秋子さんがせっかくの旅行だからと、自腹を切って他の友人達を旅行に招待したのだった。

その結果、男二人、女九人という大所帯が温泉宿に押しかける事になったわけだ。

「なんだ?その辺の森でも小グループに分かれて歩こうとでも言うのか?」

「違うわよ!真琴凄い話を聞いちゃったんだから!」

ここまでですでに祐一はウンザリしていた。今まで真琴が持ってきた話でろくな物があったためしが無かった。

酷いときになると水瀬家の構成員全員を巻き込んでおきながら、ガセだった事もあった。祐一が嫌な顔をするのは当然の結果だった。

「なんだ。近場にホラースポットでもあったのか?」

「そうなのよ!祐一聞いて!」

「はいはい…手早く、簡潔にな」

祐一の声には真琴の声と正反対にまるでやる気が無かった。これ聞き終わったらもう一度温泉に浸かってから舞と佐祐理さんの居る部屋にでも行こう。

そして舞と二人きりで夜の風を体一杯に浴びたい。無論それだけで済まないならそれに越したことはないのだが。

「どうした相沢?」

「ん…なんでもこの近場にホラースポットがあるそうだぞ。今から解説してくるそうだ」

部屋の奥から触角頭…北川が現れた。さすがに男女を同室にするわけにはいかないので、祐一は北川と同室だ。

ちなみに前述の2人+真琴+あゆ+天野が同室の他に、残りの四人が全員が同室というわけだ。

「あのね、真琴が聞いた話だと、この付近の山の上に大きなお屋敷あるそうなの」

「それで?」

「なんでもそこのお屋敷には3人の男女…女の人と、その娘と、居候が一人が住んでいたんだけど」

まるで俺だな。祐一はそう思った。俺も秋子さんと名雪お親子の家に転がり込んだわけだから。まあ今では居候がもう一人増えたわけだが。

そしてその増えた居候が、自分と同じ境遇の一家の話を持ってくる。因果だな…。世の中と言う奴は人の意思の及ぶことが少ないものだ。

「ある日、娘が事故で死んでしまったらしいの。その後はよく分からないんだけど、とにかくそれから家は荒れ果ててしまったの」

思索に耽っていた祐一の目が一気にさめる。急に話が俗物的な…よくある話になったからだ。

興奮で顔を赤くしながら話しを続ける真琴。さめた顔をした祐一。

「それで、今までに何人もがその屋敷に足を踏み入れたそうなんだけど、誰一人戻ってきた人はいないんだって」

「馬鹿らしい…真琴…同じような話を前にもして、しかもガセネタだったろ」

「あ、あれは若禿のイタリア人ってやつなのよ!」

「それを言うなら若気の至りだ」

もうこれ以上聞くのは面倒だった。祐一にとってあまりにもありふれた話だった。

この手の話…オカルトなどを否定してはいなかった。初めて通る道で突如感じる寒気に何よりも不気味さを感じ取れた。

だからこそ、そのような場所へ行く事の危なさをわかっているつもりだった。人間の悪い予感は当たるものだ…その逆と違って。

しかし、今聞いた話はくだらない気配しか感じられなかった。

「どこが馬鹿らしいのよ!誰も帰ってきたことが無いのよ!何があるか気になるじゃない!」

「いいか!だいたい行方不明者がでているなら、警察が動いているはずだ」

警察が動いてたらホラースポットとしてもっと有名になっているはずだ。さらには危険な場所だったら封鎖するなり何なりするはずだ。だとしたら行くのは問題外だ。

「ま、他にも色々言いたい事はあるが止めておこう。それよりも現実的な問題だ」

「現実的?」

「そうだ。肝試しって事は中に入る気だろ。人の家に勝手に入ったらいろいろとまずい事になるかもしれないだろ。そうなったら秋子さんにも迷惑がかかるんだぞ」

「ば、ばれなきゃ大丈夫よ」

「それにだな…古い家に入るって事は危ない事も多いんだぞ。床が抜けたり、上から何か落ちてきたりするかもしれない。暗いなら尚更だ」

「あうー」

祐一の言っている事は正論だった。だから真琴は何も言い返せずに唸るしかない。

「それだけじゃない。もしかしたら何か獣が住み着いてるかもしれない。襲われたらどうする気だ?」

「あうー」

「ま、簡単に言うなら危ないから止めておけ事だ。他にも面白い場所はあるんだから、明日ゆっくりと遊びに行けばいい」

「もういいわよ!!祐一の馬鹿!」

真琴は思いっきり音を立ててドアを閉めて出て行った。いつもの事だから祐一は何も言わなかった。

そして黙って空になった湯飲みに新たな茶を注ぎ直した。

「やれやれ…」

「いいのか相沢?彼女かなりご立腹だったぞ」

「いつもの事だよ」

あの程度の事は水瀬家ではレクリエーションだ。その事を北川は知らない。

「でも女の子を怒らせたままだと後味が悪いだろ」

「だったら北川が慰めてやったらどうだ。お前と仲良くなる事で、あいつが落ち着くなら大歓迎だぞ。お兄さんと呼んでもらおうか」

「いや…俺、ああいうタイプは…」

「だったら放っておけ。面倒だが、あいつは同居人だ。俺が後でちゃんとアフターケアしてくるさ」

「苦労性だな」

同情気味の苦い表情だった。女の同居人がいるのも、時によりけりだな…そう思わずにはいられない。

もっとも自分なら例えどんな時だろうとそれを望むんだろうが。最後にそう付け加える北川であった。

「好きでやってるんじゃないがな。ま、最低限の義務を果たすだけだ。北川も飲むか?」

空になった湯飲みにお茶を注ぎつつ言った。

「お茶は苦手なんだ。コーヒーなら貰おう」

「生憎とここにはお茶しかない」

「まあ、せっかく相沢自ら煎れてくれる事だし。頂きましょう」

「いい心がけだ」

それから二人は取り留めない話をしながら湯飲みを空にする作業を続けた。

「まったく相沢祐一と言うやつは、一見普通なのにどこか変わっていて女からの注目が高い」

「そうか?」

「噂曰く、クール、さりげない優しさ、独特の存在感、恩威並び行う、普通とは少し変わった行動、などなど」

「人違いだな。俺と同姓同名で随分立派な人らしい」

「皮肉を言うなよ」

「勝手に俺の事をどう思おうが気にしないが、真実を知って逆切れされるのはご免こうむりたいな」

「ほらクールだ」

「まったく…恋愛は真実の割合が少ない方が戦果が大きいと聞くが…真実らしい」

「恋愛における技術…って奴だな」

「ほら温泉行くぞ。温泉」

再び空になった湯飲みをちゃぶ台に叩きつけ、風呂に必要な物を脇に抱える。

二人は温泉に向かった。そこは露天風呂だった。手早く体を洗って湯船に浸かる二人。

しばらくの間は取り留めの無い会話をしていたのだが、ふとした事で先ほどの真琴の事を話す事になった。

「しかし肝試しか…俺はちょっと興味があったんだけどな。せっかく暖かい時期になってきたんだし」

「まだ言ってるのか、くだらない…。どうせ驚いた香里に抱きつかれたら…とか考えてるだろうが」

北川が美坂香里に好意を持っているのは、彼と親しい人間にとっては知れ渡っていた。

もっとも肝心の対象者がその事をどう思っているかは謎だが。

「相沢だって、あのつり目先輩に抱きつかれるなら喜んで肝試しに行っただろうに」

つり目で、髪が長く美しくて、無愛想で、なによりも強く、そして弱い、だ。口には出さないが。

「断言してもいい!舞とそんな美味しいシチュエーションになる事とは無い!」

思いを巡らせて見る。あの舞が、何に驚いて自分に抱きついてくる様を。……考えつかなかった。人間の想像力には限界があった。あまりにもかけ離れた姿を想像するには祐一の能力は足りなかった。

「というわけで、現実的に生きる俺は直接会ってくるよ。お前もせいぜい頑張るんだな」

「おいっ!」

「状況は出来るだけ自分の手で変えたいものだな。北川君」

わめく北川の声を背に祐一は湯を出た。手早く備え付けの浴衣に着替えてまずは自分の部屋に戻った。

手早く手荷物を片付けて部屋を出る。そして目的の部屋の前に立ち、ドアをノックした。響き渡る木を叩く音。

「誰?」

「祐一だけど」

その声と同時にドアが開いた。

「お邪魔します」

一言断りを入れてから足を踏み入れる。部屋の中にいたのは舞と佐祐理の二人だけだった。

祐一と同様に二人も湯上りの姿だった。浴衣姿の二人は美しかった。

「祐一…肝試し」

「行かないぞ」

「はえー、残念ですね。佐祐理は肝試しに行くかと思っていたんですか」

「色々と危ないかもしれませんからね。止めておいたほうがいいんですよ。あ、これ差し入れ」

手に持っていた一升瓶をちゃぶ台の上に置く。祐一が秋子から貰った特上の日本酒だった。

それを見て、佐祐理は手早くグラスを3つ用意して、さらにその中に酒を注ぐ。

この三人で酒の席を設けた事は何度もあるので、全員が酒をたしなむ事は分かっていた。

「真琴から誘われたんですか?肝試し」

頭を下げてからグラスを手に取る。そして中身をチビチビ口につける。

「そうですよ。真琴ちゃんが言ってきたんですよ。山の上にあるお屋敷なんですよね」

「らしいですね。どっからネタを仕入れてきたんだか?」

「面白そうな話でしたよね」

「面白半分でああいう場所に行ったら駄目ですよ。本当にヤバイ場所ってのはあるものですからね」

本当にやばい場所、生きている人間が近寄ってはいけない場所。それらに遊び半分で近づくものにはそれ相応の代償を払わされる

それっきり祐一は肝試しについては触れなかった。思い出すだけで気分が悪くなった。その空気を悟ってくれたのか、二人もその話題には触れなかった。

あとは三人で酒盛りだった。二人の心遣いが、祐一の気を高揚させ、結果的に限界を超えて酒を飲む結果になってしまった。

「祐一さん寝ちゃったね。佐祐理たちも寝ようか」

「寝る」

「祐一さんがいるから布団が一組足りないね。舞が祐一さんと一緒に寝るしかないね」

その台詞に対して舞がチョップで答えようとした時、部屋に来訪者が現れた。

「失礼しまーす。相沢の奴を回収に来ました」

「あ、北川さん」

北川だった。祐一と同じように浴衣を着ている。

遠慮しながら部屋に足を踏み入れると、酔いつぶれた祐一を見て呟くように言った。

「あーあ。予想通り酔いつぶれちゃって。じゃ、貰っていきますね」

「このまま寝かせておいても佐祐理たちは構いませんよ。ね、舞」

「……………」

無言で頷く舞。だが、構わずに祐一を肩に担ごうとする北川。

「いやいや、そんな美味しい思いをさせるわけにもいきませんから」

そして肩に担ぎ終わったときだった。

「舞…なにするんだよ…」

寝言だった。それを聞いた北川は嫌な顔を、佐祐理は楽しそうな顔を、そして舞は顔を赤くした。

「私が…運ぶ」

強引に祐一を北川から奪う舞。予想外の出来事になすすべもなく奪われてしまう。

「舞、今日は部屋に戻ってこなくてもいいよ。祐一さんと一緒に居てね」

「…戻ってくる」

それから二人は無言だった。元々無口な舞、そして合って間もない北川では会話が弾む事はなかった。ただ祐一の寝息だけが発せられる唯一の音だった。

「あ、俺、トイレ行くんで…相沢お願いしますね。これ鍵です」

手早く懐から部屋の鍵を取り出すと、それを舞に預けてさっさと見えない位置まで走り去る北川であった。

貸し一つだからな。その台詞は誰の耳にも届くことはなかった。

 

「ちわーっす」

行くところが無くなった北川は、自分も祐一と同様になるために別の部屋を訪れた。

「あ、北川君」

「北川さん」

「変なのが来たわ…」

部屋には名雪と香里と栞の三人が座っていた。

「一体なんの用?」

北川を露骨に嫌な顔で部屋に迎えたのは香里だった。門前払いをしなかったのが不思議なほど不機嫌な表情だ。

「いやいや。相沢のために部屋を空けなきゃならなくなって。だったら俺は美坂の所に泊めてもらおうと」

「玄関ホールにソファがあったわよ」

「なるほど。そこで二人で語り合おうと。ここじゃ水瀬と妹さんがいるもんな」

「一人で行きなさい」

「…そこで寝ろと。冷たすぎるぞ!」

「それは酷いよ香里。素直に部屋に帰ってもらおうよ」

「泊めてくれないの?」

「女の子だけの部屋に男の子を寝かせるわけにはいかないよ。それに祐一を一人に独占されるのは嫌だからね」

つまり、自分が祐一の逢引きを邪魔しろ、そう言ってるわけだ。女は怖いね。北川は肩をすくめた。

「ま、なんにしてもすぐには帰るわけにはいかないんだ。しばらく居させてもらうよ」

今、部屋に帰れば、間違いなく好いムードにある男女の真っ只中に突入することになる。そうすれば、間違いなく二人の人間から恨みを買うことになる。中途半端な好意が裏目になるわけだ。

「仕方ないわね。名雪、なにか遊び道具とか持ってきてないの?」

素早く鞄に飛びつく名雪。でてきたのはカエルの絵柄がプリントされたトランプが一組だった。

「トランプ―トランプ―」

それを見た香里は鞄から大量のカジノで使っていそうなチップを取り出した。賭けをするわけか。

「レートはコイン一枚100円だな」

さらに乗り気な北川。今の台詞で絞めたのは自分の首か…それとも目の前の人たちの首か…。

「素寒貧にしてあげるわ」

「こっちこそ着ている服まで根こそぎ頂いてみせるぜ」

 

 

部屋に辿り着いた舞は、まず祐一を適当な場所に下ろしてから布団をひいた。

そして、そこに祐一を寝かせた所でようやく祐一が目を覚ました。

「あれ……舞?そうか」

自分が、自分の泊まっていた部屋に連れて来てもらったことは、部屋の内装からすぐに理解できた。

そして目の前に舞が居る事、そして北川が部屋に居ない事を確認した。

「祐一は…私の事をどう思っている?」

「好きだぞ」

即答だった。文句のつけようのない即答だった。

「どうして急にそんな事を聞くんだ?」

「本で…旅行のときは…女の部屋に夜は来るものだと書いてあった」

意外な答えだった。

「どこでそんな本読んだんだよ…」

「佐祐理に借りた」

「さすがに、佐祐理さんやその他がいる部屋に夜這いはできんよ…」

祐一は自分を覗き込んでいる、目の前の人を思いっきり抱きしめた。

「だから…部屋には行かなかったけど…これでいいかな」

さらに唇を重ねる。

「一緒に寝ようぜ」

「祐一の友達が…戻ってくる」

「じゃあ、その直前までこうしていよう」

言って舞の手を引っ張り布団に連れ込む。

「そのだな…服脱がすような事は絶対しない。約束する」

真剣な瞳が舞いを見つめる。

自分に向けられた赤い顔

自分の見つめる瞳

自分に添えられた手

感じられる体温

息遣い

それらが全て自分以外の誰にも向けられない事を確認できただけで幸せだった。

結果的に、北川が帰ってくる直前、約1時間二人は抱きしめ、キスをしあう事になった。

そして素寒貧になった北川は報酬として祐一のおごりの酒を寝る前にたらふく飲む事になった。

「寝たか…。美味しい思いさせてやったんだから、これぐらいはやらせてもらうぞ」

その夜。祐一は舞にさんざん折檻される夢にうなされた。

その原因は間違いなく北川が体中に付けた洗濯バサミにあるのだろう。

 

 

 

「大変ですよ祐一さん!起きてください!」

朝、最初に祐一たちの部屋に入ってきたのは、小柄な少女、栞だった。

「大好きだぞ」

昨日の夜にそうしたように、自分を見下ろす女性を思いっきり抱きしめた。

「え?え?え?な、なにするんですか!?」

そして、昨夜と同じように唇を重ねようとした時…ようやく目の前にいる女性が昨夜と違う事に気がついた。

「あれ……舞じゃない」

「そんな…人をあんな風にして…。私…嬉しかったのに……ひ、酷いです!」

ようやく目が覚めた時には遅かった。泣きながら部屋を去って女。そして…怒りに燃えるその姉だった。

その姿は羅刹に見えた。祐一は後にそう語った。

「人の大切な妹を抱きしめておきながら…他の女の名前を呟くなんて………」

「あの…だから…ごめんなさい」

必死の思い出で土下座して許しをを乞う祐一。目の前にいる香里の形相は、死を連想させるに充分な物だった。

「……」

香里はただ無言だった。だが祐一は悟っていた、対応を誤れば死が待っていることを。

「このとおり。許してください。ごめんなさい。誤解です。事故だったんです」

「………」

無言…。

「まあ…許してあげましょう」

恐る恐る土下座を解く祐一。

「で…何が大変なんですか?」

祐一は怯えた声で尋ねた。

「話すより見たほうが早いわ。とにかく来なさい!」

強引に祐一の手を引いて部屋を飛び出す香里。向かった先は舞たちの部屋だった。

そしてノックもしないでドアを開けて部屋の中へ飛び込む。

「誰も…いない」

中は空っぽだった。布団が冷たい事から部屋の住人達がここを出て行ってからかなりの時間が経っていることは間違いなかった。

「どういう事だよ?」

「これを見なさい」

それはメモ用紙だった。書いてある内容はただ一言、簡潔だった。

肝試しに行く

「あのっ、馬鹿野郎!!」

字は間違いなく真琴の物だった。あれだけ釘を刺しておいたのに独断専行したわけだ。

「香里!いなくなったのは誰なんだ?」

「この部屋の5人が全員。それ以外はここにいるわ」

「佐祐理さんたちまで…」

祐一は焦っていた。肝試しに行ったという事は、ここを抜け出した時間は深夜。そして今はそれから6時間は経っている。

どう考えても、帰ってくるのが遅すぎる。つまり、昨日真琴に警告したような事があった可能性が高いわけだ。

これが真琴だけなら寄り道をしていると思えたかもしれない。しかし、肝試しには佐祐理さんや天野が同行している。

あの二人が、俺達を心配させてまで外で遊ぶ事は考えにくい。

「相沢君。肝試しって書いてあるけど何か心当たりでも?」

「館…なんでもこの山の上に幽霊屋敷があるらしい。真琴たちはそこに行ったはずだ」

その時、携帯電話の存在を忘れていた事に気がついた。慌てて自分の部屋にもどって携帯電話を手に取る。

まず電話をしたのは天野だった。(メモリの最初に登録されていたから)しかし帰ってきたのは電波の届かない場所に居ると言う機械的な声だけだった。

舞、佐祐理、真琴、全て答えは同じだった。(あゆは携帯電話を持っていない)

「最悪だ!」

携帯電話を思いっきり地面に叩きつける。罪の無い携帯電話が音を立てて砕け散る。そして祐一は駆け出した。

「どこに行く気よ!?」

「あの馬鹿を探しに行くんだよ!」

「そんな格好で外にでるつもり!だいたい場所はわかってるの!?」

「くそっ!」

今度は罪の無い柱が軋み、大きな音を立てた。

「とにかくこういう時は年長者の話を聞きましょう」

興奮する祐一をむりやり引っ張って、香里は秋子へ相談しに行った。

それから事は迅速に運んだ。秋子は宿の一番古株の職員を呼び出して、館の所在を確認した。

その間に、残った5人に朝食をとらせ、部屋に待機させておいた。

「とにかく探しに行かないと!」

「おい相沢…警察に連絡した方が確実じゃないか」

「警察?そう言っても、例の場所に真琴達が行ったって証拠はないんだ(もちろん確信はしているが)。それにまだ居なくなってからたいして時間が経ったわけじゃない。今の状況じゃ警察は無理だ」

「そうだね…本当に行った事を説明できないと駄目だよね」

「とにかく俺は館へ行ってみるよ。いや、止めたって行くからな」

今こうして話している間にも真琴達に何か起こっているかもしれない。だが、命の心配は無いと思っていた。舞がいるから、きっと最悪の事態だけは何とかしてくれるはずだ。もしくはそう思いたいだけなのかもしれないが。

「さっきから何をそんなにイライラしてるんだ!こういう時こそ落ち着けよ!」

確かに祐一の態度は冷静な人間のものではなかった。祐一は、どちらかといえば常に冷静でいる人間だ。それがさっきからはその真逆に属している。

「落ち着いていられるか!」

もうほとんど叫び声だった。

「俺があの時に真琴にちゃんと言い聞かせておけばこんな事にはならなかったんだ!これが落ち着いていられるか!全部俺のせいだ!」

乾いた音が部屋に響き渡った。頬を赤くした祐一と、張り手の体勢を崩さない香里の姿が全員の目に止まった。

「見ててイライラするわ。何が全部俺のせいだ!よ。相沢君ってそんなに立派な人だったの?」

呆然としている祐一に向かって香里は言い放った。

その声は大きくも激しくもなかった。だが、周りに口出しを許さない迫力があった。

「自分がちゃんとやっていれば何もかも上手くいくなんて思い込んで恥ずかしくないの?自分が天才だって大声で主張しているのと同じ事よ」

香里言う事はもっともだった。この世には完璧な人間はいない。何もかも成し遂げられ、先を見通せる人間はいない。いるとすれば神だ。

「でもよ……」

それでも納得のいかない表情の祐一。自分が悪いと思わないと、精神が壊れそうだった。

自分にとって大切な人たちが危険にさらされているかもしれない。自分はそれを止められたのに。

ここで自分を正当化したら、何もかもが駄目になってしまう気がしていた。

「真琴達は自分で決めて肝試しに行ったのよ。その結果を受け入れる義務を彼女達は持っているのよ」

これももっともだった。全ての債務を負わされるのは、いつだって当事者でなければならない。

その逆は健全な生き方ではない、むしろ卑しい生き方だ。

「でも…」

「もちろん、その事が困っている人間を見捨てていいことにはならないわ。とにかく頭を冷やしなさい」

じっと祐一を見つめる香里。その瞳はさっきとはうって変わって優しい光を携えていた。

まじは自分が悪くはない事を教えるために厳しい態度をとった。分かってくれるなら厳しくする必要はなかった。

「すまん…香里の言う通りだ。少し頭を冷やしてから…真琴たちを探しに行くよ」

香里の言葉は祐一を救った。少なくとも自暴自棄の行動をおこす事はなくなった。

「必ずなんとかしないと…」

「そんなに気負う必要ないのよ。『人の忠告を無視するから危ない目にあうんだ。まあ見捨てるのも後味悪いから助けてやるか』こんな感じでいいのよ」

確かにそのとおりだった。いつもの俺ならそうしたはずだ。突き放して、そして手を差し伸べる。

では何故こんなに焦っているのだろう?それはなんとなく理解できた。でも…絶対に話せないことだ。

「香里の言うとおりだよ。祐一は真琴たちの事が心配だから慌ててるんだよね。じゃあ助けにいけばいいんだよ。責任を感じる事はないよ」

いままで黙っていた名雪も祐一を諭す。

「はは…ははは…確かにその通りだ。あの馬鹿野郎はいつも人の言う事無視して、尻拭いはいつも他人だ。今回もいつもどおりするだけだ」

いつも通りする。それしか選択肢はなかった。冷静に真琴たちを探し、連れ帰る。

例え本心がどれだけ焦っていても。表面上は祐一は落ち着いた。

「私も探しに行くよ」

「名雪」

「真琴は家族だからね。こういう時には放っておけないよ。準備してくるね」

名雪は部屋を出て行った。準備といったから自分の部屋に戻ったのだろう。

「それじゃあ私も名雪について行くわ」

同じように香里も部屋を出て行った。その後ろには妹の栞も一緒にいた。

彼女達の背中を見ていると、今度は自分の背中で音がし始めた。

「北川…」

「美坂の奴が行くのに、男の俺が黙っているわけにはいかんだろう」

「すまんな…」

「すまん?何故謝る。俺は与えられた機会で美坂の好感度を少しでも上げようとしているだけだぞ。お前のためじゃない」

辛辣な台詞だったが、顔は笑っていた。それを見て祐一は黙って頭を下げた。その言葉の裏にあるものを理解できたから。

あとは自分が動くだけだった。急いで自分の身支度を済ませて秋子さんの部屋へと急いだ。

「秋子さん。ちょっと真琴たちを探してきます」

「気をつけてくださいね」

「はい。もし俺達が遅くなるようなら、後処理お願いしますね」

後処理…自分達が帰らない事実を警察に突きつけて動いてもらう。

「まかせてください」

 

 

 

旅館の人の話によると、目的の場所は旅館から30分ほど歩いた山の中にあるらしい。

しかし道といえば獣道程度しかなく歩きにくく、また今日は曇り空なので、それにさらに拍車をかけていた。

「見ろよコレ」

ぬかるみの中、人間の足跡がハッキリと残っていた。それも複数人の。

「あいつらがここに来たのは間違いないな」

足跡はどれも女性と思われる小さなものばかりだった。そしてまだ新しい。真琴たち以外にありえない。

「じゃ…やっぱり何かトラブルに…」

それからさらに山道を歩きつづける。そして、突如森が切れた。目的の場所についたのだ。

「ここか…」

まずは大きな門があった。鉄でつくられた門は錆だらけになっており、ここが放棄されてからの時間を物語っている。

みれば門には丈夫そうな鎖が幾重にも巻きつけられていた。そして付けられた看板。

それによると町がこの館を管理…とうよりも閉鎖しているらしい。鎖には大きな錠前がついていた。鍵は町が管理しているのだろう。

やむを得なく門を乗り越える事になってしまった。

そして姿を表す目的の屋敷。

それは予想以上の代物だった。

森の木々の中から現れた屋敷。

正面から見るには、どれだけあるか分からない敷地。

古び、朽ちつつある佇まい。

覆い茂る植物達。

それはまさに不穏、不安、恐怖、それらを具現化させるものだった。

「思ってた以上に…凄いですね」

栞が感心するように呟いた。感心…というのは正解でないか…あれは不安から目を逸らすための言葉だな。祐一はそう思った。

自分もそうだったからだ。ここにいるのは怖い。何かしてないと心が壊れそうだ。確信した、ここは本物だ。

「相沢!見ろよ、玄関のあたりに足跡が残ってるぞ」

「ああ…中にいるのは確実だな。まったく…よく夜にこんな屋敷の中に入る気がおきたな…」

少なくとも自分だったら、どれだけの大金を積まれようが、人に臆病者のそしりを受けようが、足を踏み入れない。

ここはそれだけの場所だ。真琴が足を踏み入れたのは無知、無感の故か…?なんにしてもここまでくれば罪悪物だ。

あいつが何かをするたびに問題が起きる。そして迷惑をこうじるのはいつも他人だ。

「……どうする……入るんだよね?」

怯えた声で、祐一の隣にいた名雪が質問をした。名雪はここに来てから不安を隠せないでいる。

香里と北川はいたって平然としているし、栞はとりあえずは不安を表面上は見せていない。

「怖い奴はもう帰った方がいい。とりあえずここに真琴達がいるって事は確定なんだ…。あとは警察に任せても。帰る奴はいるか?」

「祐一はどうするの?」

「ここまで来たんだ…今更帰るのもな…俺は真琴たちを探してみるよ。誰か帰る奴はいるか?」

返事は無かった。祐一は改めて名雪の顔を覗き込んだ。その表情は祐一には普段と同じに見えた。

「一人で帰るほうが怖いし、私も行くよ」

「そうか」

祐一が取っ手に手をかけると、鍵は掛かっていなかった。力を込める。

よほど造りがしっかりしているのだろう、安普請な音など立てずにほんの小さな音だけを立てて扉は開き始めた。

埃とカビと湿気の粒子を含んだ空気が、鼻につく。嫌な空気だ。そして完全に扉が開ききる。内部の様子が陽光に照らされる。

何故自分はこんな場所に足を踏み入れなければならないんだ…。決まっている、それが必要だからだ。祐一は思わずにはいられなかった。

それも自分の所業ゆえにでなく、他人の愚行の結果として、俺が尻拭いをさせられるわけだ。

やれやれ…したい事としなければならない事の差異のなんと大きなことか。世の中は面倒なことが多すぎる。

「どうしたの、ぼーっとして?」

「ん…何でもないさ。しかし…名雪にぼーっとしてるとか言われるのは…」

「うー」

…これから面倒に首を突っ込もうというのに何を考えているんだ。考えすぎるのは俺の悪い癖だ。

いっそ真琴の様に馬鹿であれば何も考えずに済んだのに。馬鹿は自分の行動を省みることはないからな。

そして自分の愚行に気がつかず他人に迷惑をかけ、蔑まされている事にも気がつかずに幸せに生きる……か。

自分の愚かさを見ずに済むのと見なければならない事…どちらが有能…いや効率がいい事なんだか。

いや…そもそも俺は自分が考えているほど有能ではないな。有能ならここにいたる原因を事前に潰していたはずだ。

せいぜい馬鹿の一歩手前か…いや馬鹿なのかもな。まあ馬鹿と能力がある事は別か…。有能な馬鹿も世にはいる。一番たちが悪い奴だな。

また考えている…これもカタルシスと言う奴か。祐一は考えるのを止めた。

そして5人は屋敷の中へと足を踏み入れた。