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「見つかったのか」 中で何があったかも、祐一の心境も知らない北川が極めて明るく声を上げた。 「ああ。待たせてすまんな」 祐一も自分の心境を悟らせないようにいつもと同じように返答をした。 「なに、今更焦ってもしたがない。のんびり行けばいいさ」 次の目的地は岩に道を塞がれた回廊だ。そしてその過程にある食堂を歩いていたときだった。 ふと、祐一の視界の端っこを、何かが物凄い速度で横切った。一瞬の事だったのでそれが何かは分からないが。 正体が判明したのは、それが目の前の壁に当たって砕け散った時だった。 床に散らばっている木片と豪華な布から、それが自分たちの背後にあるテーブルに備え付けられていた椅子だとわかった。 自分以外の誰かがこんな事をするわけがない。何よりもあの椅子は重力を無視して、一直線に飛行していた。 椅子が飛んできた方向を振り向いてみると、椅子の軌道に一番近かった香里が硬直していた。あの様子では激突まで紙一重だったのだろう。 「とりあえず……」 硬直した体の口だけが開いて言葉をつむいだ。喋れるだけ大したものだろう。 「とりあえず?」 いつもふてぶてしい北川が、さすがに真面目な顔をしながら疑問符を発した。 「この部屋にいない方がよさそうね」 「そうだな……。ところで美坂。怪我とかはないのか?」 「まあ、運がよかったみたいね」 「それはよかった」 「男運はないみたいだけど」 「いやいや、運があるけど気が付いていないだけだと思うぞ。しっかりと現実を見ないと」 「話はそれだけかしら?もう走りたいんだけど」 「それは失礼した。ご自由にどうぞ」 その言葉合図になって一気に一向は駆け出した。一気にドアへと殺到する。 香里の表情と、目の前の惨状がよほど衝撃を与えたのだろう。全員すごい勢いだ。 どう見ても運動が得意そうではない栞までが、陸上部部長と勝らずとも劣らないスピードでドアへと突入していた。 「……ポルターガイストを思い出すな」 岩を砕き、道を切り開くための大型のハンマーを手に入れた一向は問題の岩の前までやってきていた。 「さて、誰がこのハンマーを振るって道を切り開く栄誉を手に入れるんだ?」 北川が背中に背負っていたハンマーを下ろし、杖代わりにしながら皆に尋ねた。 彼の前にはこれから砕かれる未来が用意された巨岩が沈黙を守って座している。重量のあるハンマーを振り回すのはかなりの大仕事になるだろう。 「北川」 「北川君」 「北川さん」 「あなたがやりなさい」 一斉に北川以外の四人が口を開けた。指名された当人は大げさに肩をすくめて見た。 「…………指名料頂いてよろしいでしょうか?」 「それは一人前に仕事をしてから言う台詞よ」 「やれやれ」 観念したのかすくめいてた肩に力を込めてハンマーを持ち上げた。他の四人は巻き添えをくわない位置まで体を下げる。 巨大な金属の塊が振り上げられ、空気を裂きながら巨岩目掛けて振り下ろされた。鈍い音が響き渡る。 5人の視線が先程まで岩があった地点に向けられた。そこには幾つもの欠片に姿を変えた巨岩のなれの果てが転がっていた。成功だ。 戦果を確認した北川は完全なる勝利を手に入れるために二度三度と同じ動作を繰り返した。 「任務完了」 ようやく扉を開けられるだけの空間を確保したときには彼は体全体に汗を浮かべていた。 「ご苦労様」 他の4人がバラバラになった岩の破片をドアの軌道上から取り除く作業を始めた。 軌道上から破片を取り除き終えると、祐一はドアノブに手をかけた。あっさりとドアが開かれる。 しかし、今まで屋敷を調べた範囲ではどこにも舞たちは見つからなかった。例えそれが死体だとしてもだ。 だとしたら彼女らはもっと先まで行っている事になる。この先か、もしくは俺が吹っ飛ばされた部屋の先へか。 しかしこの扉は岩で塞がれている。他に行ける場所はないはずだ。先へ進めるわけがない。 来たときには発電機が動いていて…そして二階の奥へと進んでいったのか? いや…書置きの内容からして発電機は、舞たちが来た時点では停まっているはずだ。ならこの奥に一度は行かないといけない。 発電機なら、燃料が切れれば活動を停止する。しかし一度砕かれた岩が元に戻ることはないはずだ。 もしかしたら一度切り拓かれた道が、再び塞がれたのか?……ありうるから嫌だ。 「真っ暗だな…」 扉の先は一片の光も存在しなかった。扉から漏れる光のみが部屋の姿を照らしていた。 手探りで探し出した照明のスイッチらしきものを動かしても光はつかなかった。 「こりゃ困ったな」 以前にもあった通電のストップしている区間は屋敷の東側だった。そして今回も東区間の部屋が通電がストップしている。 つまり、この先も暗闇の区間が続く可能性が高いと言える。そして明かりを灯すための発電機はこの奥に行かないと存在しない。 5人はこれから、発電機を目指してこの暗闇の中を探索しないといけないわけだ。 足元には穴、物陰には化け物、頭上には落下物、そんな危険に満ちた空間がさらに危険になるわけだ。 「私…嫌だよ。こんな怖いところに入りたくないよ」 それが分かっているのか、名雪は床にへたり込んで弱音を吐き始めた。 祐一はそんな名雪をウンザリした目で見ていた。正直いい加減にして欲しかった。あの時助けたのは失敗だったかと感じ始めていた。 名雪の隣にいた香里も、名雪を見下ろしている。こちらの視線は冷たいものではなく、どうした物かといった物だったが。 面倒見のいい事だ。………いや、俺が冷たいと言った方が正しいんだろうな。 どちらにしてもここで足止めを食うわけにいかない。置いていくか、引きずっていくかのどちらかを一向は選択しないといけない。 正解のない二者択一だな。本当に困ったもんだ。 「まあ…全員で行っても意味がない。何かあった時の為にここで待機する班と探索班の二手に分かれよう」 その意見は祐一と名雪の双方を救う事になった。 「当然俺は探索班だ。相沢はどうする?」 「俺も行くよ。他人任せはどうも苦手だしな」 尤もその選択の理由は、何もしてない方が不安になる事を体で理解していたからだ。 名雪は当然待機班を選んだ。そして香里も待機班を選んだ。その理由は名雪の面倒を見るためだろう。 最後に残った栞は、しばしの沈黙の後に探索班を選択した。 祐一は栞が選択したのと同時に荷物の中からロウソクを取り出した。これがこれからの命綱になるわけだ。 暗闇の中の探索か…。まったく困ったことになったものだ。 暗闇の中から先程のように何かが飛んできたりしたら避け様がないだろう。何が起こったかも分からないうちに冥土行きだ。 それ以外でも、頭上から何かが落下してきたら、化け物に襲われたら、その時に明かりを失ったら。 どれが起こったとしても命を失う危険は今までとは比較にならないほど大きい事だろう。 何よりも、そんな中を探索することは怖い。神経にヤスリをかけるような思いを味わう事になるだろう。 そう思わずにはいられない祐一であった。して最後に自分の足がもう震え始めていることにウンザリとした。 思いを振り払うかのように北川から受け取ったマッチをつまんだ。 「それは必要ないぞ」 北川は祐一が火を灯そうとしていたロウソクを掴んで言い放った。 「必要ないって…ライターの火だけで先に進む気か?」 「もっといい物があるんだよ。全員俺について来てくれ」 もっといい物?懐中電灯か何かか?だとしたら火を使うよりもずっと安全で便利なんだろうが。 部屋を出た北川が足を運んだのは暖炉のある広間、食堂だった。 「ここで一体どうする気なんだよ?」 先程椅子が一人で動き出した場所だ、全員の顔に警戒色が浮かんでいる。 北川はその質問に答えずに、手近にあった木製の美しい細工が細部にまで刻まれた高価そうな椅子に手をかけた。 何をするんだろうと注目する4人の視線を受けながら彼はそれを思いっきり床に叩きつけた。 いつ椅子が飛んできても大丈夫なように、テーブルの上に体を上げたいたのでより勢いがついていたのだろう。 先程まで、金持ちの好みを引きそうな椅子だった物体は、大きな音を鳴らした後にバラバラの木材へと姿を変えた。 注目の視線が唖然とした視線に変化した。そして木材が砕けるおとはそれから3度ほど辺りに響き渡った。 そして床に散らばった木材の中から幾つかの破片を取り出し、両手に抱えて今度は台所の方へと身を翻した。 北川に続いて祐一が台所に足を踏み入れた時、思わず顔を顰め、鼻をつまんだ。 「こりゃ…酷い有様だな」 先程の戦闘の名残。辺りに転がっている大量の蛆虫の焼死体が腐臭を放ち始めていた。 よく見ると、未だに死にきれていない蛆虫が少数、台所の床をのた打ち回っている。 死んだ方がマシというのはあんな感じなのかもしれない。死んだ後にどうなるかは知らないが。 その状況を作り出した張本人は、そんな様子を気にもせずにずんずんと先へと入っていく。 棚にしまわれていたタオルを何枚か取り出して、荷物から取り出したナイフでそれを細長く切り裂き始めた。 「手伝おうか?」 何をしたいのかはよく分からないが、ボーっと見ているのも芸がないので祐一が助勢を申し出てきた。 「ああ。じゃあここにあるタオルを全部見本どおりに裂いてくれ」 言われたとおりに祐一が作業を開始する。ナイフ一本しかなかったので、包丁で代用することにした。他の3人もそれに習った。 ここまできても祐一は北川が何をしたいのかがさっぱり分からなかった。横の香里は分かったような顔をしているが。 かといって、どうにも聞くにはタイミングを逃したようで、仕方がないことなので黙ってはいたが。 しばらくして、机の上のタオルは全てなくなった。今度は裂いた布に何かを浸している。そしてその布を木片の端っこに巻きつけ始めた。 「完成」 最後の一本となった木材にも布を巻きつけ終え、テーブルの上に置いた。 「それは…何だ?」 そこには合計で10本の物体が並んでいた。 豪華な材料で作られた柄の部分と、無作為に巻きつけられた布がアンバランスだ。 脂くさい匂いが鼻につく。さすがにこれを何に使うかは理解できたが、尋ねずにはいられない祐一。 「知らないのか?これはな、松明と言うんだぞ」 「はあ…」 「獣脂をたっぷり含ませてあるから、それなりに役に立ってくれると思うぞ」 こいつは何か、秘境で冒険をした経験でもあるんだろうか?そう思わずにいられない。 百歩譲って、大山のように座って、ふてぶてしいまでの肝っ玉や医療技術は環境しだいでは身につくだろう。 だが、少なくとも目の前にある物体は、この国に生きていれば、まず一生関わりがない物なのは確かだ。 こんな物は、数世代前の冒険家を描いた映画なりドラマなりで見るのが関の山だ。 祐一はとりあえず、松明を手にとってまじまじと眺めてみていた。これがあれば山狩りの一員にでもなれそうだ。 「祐一さん…」 栞も同じく松明を手にしていた。小さな体に大きな松明を持った姿はまったく似合っていない。この手はこんな荒事をするためにあるのではないはずだ。 だからと言ってこれは彼女が選んだことだ。何よりも自分が彼女の負担を肩代わりしなければならない理由も意思もない。 「どうした?」 「北川さんなら無人島に漂流してもサバイバルができそうですね」 「ああ…。平気な顔をして生活してそうだ」 「ランボーみたいにジャングルで大暴れできるかもしれません」 「………もしかしたら経験済みかもしれないぞ」 「……………まさか」 その否定の台詞は妙に勢いを欠いていた。 マッチの小さな火が松明の頭部へ運ばれると、油の焼ける匂いと一緒にマッチの数十倍の炎が舞い上がり辺りを照らす。 そしてその炎が別の松明の頭部へと運ばれ、あっという間に3つの炎が出来上がった。 なるほど、確かに消えやすく小さなロウソク炎を頼るよりはずっと役に立ちそうだ。それに明かり以外の使い方にも充分に耐えうるだろう。 「さて、それじゃあ行ってくるか」 荷物に予備の松明を一本ずつ背負った3人が扉の前に立っている。とても室内を探索するとは思えない装備だ。 この松明がどれだけ明かりとしての価値を保っていられるかは分からないが、それほど長い間探索は出来ないだろう。 これから祐一、北川、栞の3人は暗闇に包まれた洋館東区間を探索に向かうわけだ。 居残りぐみの二人には内部で何かあった時にそれを助けるという役目を負うわけだ。 「栞、何かあったら遠慮なく男二人を盾にするのよ」 「はい。わかりました」 「男の怪我と女の怪我はまるで価値が違うのを忘れないように」 「男の人の傷痕は勲章なんですよね」 「正解。あと力仕事も全部男どもに任せるように」 「はい。それと困ったときには涙を流せばいいんですよね」 「満点よ。もう教えることはないわ」 祐一と北川はそれを聞くと、お互いの方を向いてから同じように頭を掻いた。 男にとってある時は心地よく、大部分は困った、それでいて否定は絶対に出来ない会話だ。 「祐一……気をつけてね」 祐一はしばらくの間、名雪の不安そうな瞳を見つめていた。 「なるようになるさ」 投げやりなそれが返答だった。 別れを終えた3人はドアの奥へと足を踏み入れた。その時北川が俺には見送りなしかと愚痴ったが誰の耳にも届かなかった。 声が届くようにドアは開きっぱなしにしてある。暗闇の中に足を踏み入れる。 そこはそれなりに広い空間だ。ぱっと見ドアや目を引くものは無い。松明が放つ音と自分たちの足音以外何も変化が無かった。 しばらく進んでからだった。北川が荷物から何かを取り出した。それはロウソクだった。 それにに火を灯し、壁の出っ張りの部分にそれを乗せていた。 「何してるんだ?」 「何、万が一のことを考えて視界の確保をしておこうと思ったんだ」 普通ならこんなロウソクの火などすぐに吹き飛んでしまうだろうがここは室内。その体がなくなるまで火を確保してくれることだろう。 もしも今の時代が中世あたり城なら、祐一たちはそこで働く雑用係といったところだろう。 5本目のロウソクを設置した時だった。祐一たちの前に、床が無い深淵の空間が大きく広がっていた。 「構造上、最初に入ってきた暗闇の場所と繋がってるんだろうな」 北川の頭の中には今まで探索した屋敷の地図がインプットされているらしい。 180度方向を展開して、今度は屋敷の北側へ向かった。 しばらく行ったところだった。目の前の壁に何か紙切れが留めてある。まだ真新しい色をしている所を見ると先発隊のものだろう。 佐祐理へ 道を塞ぐ影には 青いライトを使って それを見ても3人は何が言いたいのかは分からなかった。。ただこの先に何か困った物があるのだけは確かのようだ。 メモが張ってる横には幅一メートルほどの通路が続いていた。この先に問題の影があるのだろう。 より警戒しながら先へ進んでいた祐一は、突然後ろから襟首を捕ま喉を絞められ動きを止められた。 「いきなり何をするんだ!?」 襟首を掴んでいた北川は何も言わずに指で足元を指した。そして自分の警戒がいかに不十分であったかを思い知らされた。 炎が床を照らした進行方向数メートルの範囲の床が真っ赤に染まっていた。床の色が赤いのではない。赤い影が床を覆っているのだ。 それも炎の赤が床を照らしてる色ではない。もっと冷たい赤、血のように赤い色の影だった。 先程壁に貼られていたメモの意味がようやく理解することが出来た。これは何かやばい物らしい。 しかし……いったいこの影がどのような役割を果たしているのかは謎である。 北川が手近にあった床の板を剥がして影の上に投函した。祐一の横でつばの飲み込む音が小さく響く。 まず最初に板が煙を上げ、次に真っ赤な炎が上がり、最後に墨の塊が影の上に姿をさらした。僅か一分ほどの間の出来事である。 そして赤い影は何も変わらずにその場にありつづけた。その有様を見て、祐一は頭を抱え、栞はため息をついた。 「ここを突っ切ったらどうなると思う?」 面倒くさそうな表情をしながら北川は二人に尋ねた。 「おそらく……影の真中辺りに真っ黒な塊が転がることになるだろうな」 「意義なしですね」 北川もうなずく。あくまで確認のための質問だった。 「肉でもあればこんがりと焼くのには役に立つんだろうが、今の状況なら単なる邪魔物だな」 「どんな状況でも邪魔物だよ!」 下手すればこれに殺されたかも、運がよかったとしても足か腕の一部を持っていかれたかもしれない祐一だ。 こんな会話を目の前でされたら心中穏やかではいられない。手を噛まれた犬が可愛いと褒められているようなものだ。 「そうですか?台所の隅っこにこれがあれば便利だと思いますけど」 そして火に油をそそぐ発言が飛び出してきた。 「何に使う気だよ!」 「そうですね、例えば一瞬でお湯を沸かしたり、生ゴミを処理したりできますね」 「死体の処理にも使えるかも」 「…………………」 「さて、相沢の忍耐もそろそろ限界みたいだ。別の場所に行くとしましょうか」 「しましょう」 それからしばらくしてからだった、松明の明かりが照らし出す端に何かが浮かび上がった。 その正体はすぐに判明した。人だった。うつ伏せに倒れて身動き一つしない。 さらに近づくと、床がどす黒く染まっている。おそらくこの犠牲者が流したものだろうそれは半径一メートルほど広がっている。 以前の例もあるので、慎重に足の端でつついたりしてみたが何の反応も返ってこない。今度の死体は完全に死んでいた。 北川が足でひっくり返してみると、すさまじい断末魔の表情が露になった。表情からして男性らしい。 血が大量にこびり付いたその顔は目がかっと開いている。その下の首には血液の出所が出来ていた。断面からすると動物か何かに食い千切られたらしい。 死体の側には、この男の持ち物だろう大きな登山などに使われそうなディパック真っ赤になって転がっている。 荷物の形状、男の体格、服装などからして登山にでも来たときにこの屋敷に迷い込んだのだろう。 北川はその懐を探っていた。そして彼が取り出したのは黒い長方形の財布だった。 「おい!!死者を冒涜するようなマネはよせ!」 「アテンション!!さて皆さん。コレを見てくれ」 「……レシートだな」 「そう、レシートだ。正確に言えばコンビニ、ロ○ソンで買い物をしたようだな。買い物の内容は…メロンパン、牛乳、プリン、チョコ系菓子」 「……………」 一体何が言いたいのかが分からない祐一は苛ただしげに床を足で押した。 「ふむ、どうやらこの男は顔に似合わず甘党のようだな」 「アイスは買わなかったんですか?」 「うーん、残念なことにそれはない」 「そんな事はどうでもいいだろ!!」 「まあ見ろ、日付は3年も前の物だ」 その言葉は絶大だった。今まで苛々していた祐一が目を見張る。 今、目の前にある死体は確かに時間が経過しているが、未だに原型を留めている。3年という時間は死体を腐食なり乾燥なりするには充分な時間であるはずなのにである。 百歩譲って、屋敷の環境が死体を保存するのに適した状況だったとしても、これだけ大きな蛋白源を小動物が見逃すわけが無い。 「学者どもから入場料を取ったらさぞかし儲かることだろう。今までの常識がまるで通じないんだから学者どもが青い顔、いや、真っ赤に興奮して調査をしてくれだろうぜ」 「……それはともかく…今こんな事を知ってもどうしようもないだろう」 「分かってるよ。これはあくまで知的好奇心を満足させるためだ。最初はいったいどれくらい前にここに来たのかを知りたかっただけだったが。まあ仏さんには悪いが役に立ちそうなものを頂くのが本命だ。もちろん財布は持ち主に返す」 「俺は…」 「嫌なのは理解できるが、まあ我慢してくれ。コイツだって志半ばで倒れた脱出への執念を俺達が引継ぎ、達成したら許してくれるさ」 「……でもな」 「諦めろ。そのかわり死体漁りは全部俺が引き受けてやる」 大きな荷物かひっくり返し始めた。その中から祐一にはよく分からないが、北川が役に立つと判断されたものがカバンに詰め込まれている。 「相沢にはこれだ」 大型のサバイバルナイフだった。鞘から抜いてみると、見事な刀身が光り輝いていた。 馬鹿どもが威嚇の為に持ち歩いている安物の刃とはまるで輝きが違う。素人目にも業物だと理解ができる。 「これは…すごいな」 周囲に注意しながら振り回してみると、風を切る心地よい感触が柄を通して主に伝える。重さも適度にあるので振り回すには都合がよい。 これを人間に使えば、腕くらいなら簡単に切り落とせるかもしれない。それは無理でも骨までは達する傷は確実だろう。 こんないい物を俺がもらっていいのか?そう言おうとした祐一の目の前に、自分が持ってるのより更に大型の刃が翻った。 それは全長が40cmはあろう洗練された曲線を描いた刃を持った金属の塊だった。 「何だ、その物騒な物体は!?」 「マチェット。日本風に言えば鉈。登山の必須アイテム」 確かに、考えてみれば通販のカタログか何かで似たような物を見た覚えがあった。 「登山では枝を切り払ったりするのに使うが、もちろん他の用途にも役に立つ。例えば人を殺したりなんかな」 これの刃も見事なものだ。まるで日本刀の業物のように濡れたように美しい刃は恍惚感すら呼び起こす。 こんな物を持っていたら、その人の気性によっては使わずにはいられないかもしれない。まさに実用と芸術を兼ねている品だ。 「これならどんな化け物でも真っ二つだ」 「私の分は無いんですか?」 一方、手に台所から拝借してきた包丁しか持っていない栞であった。 「残念な事にこれしかないみたいだ。相沢が持ってるのより比べ物にならないくらい悪い質でよければ俺のナイフを貸すが」 北川が取り出したナイフは確かに、明らかに見つけたナイフに比べると見劣りする。研磨はしっかりしてあるようだが、一番の問題は材質だろう。 包丁を振り回すのとどちらがいいかは微妙なところだ。ただ、包丁は本来の用途から外れるので使用者にも怪我を負わす可能性があるが。 「うーん」 「どうする?」 「やめておきます。安いナイフよりも包丁の方が絵になると思いますから」 「そうだな。相沢が変なことでもしたら遠慮なく刺してやるといい。いい絵が取れると思うぞ。ナイフだと計画殺人っぽくって、いまいち絵にならないからな」 「………何を持っていたとしても、刺されるのは遠慮したいぞ」 「刺されるくらいの甲斐性を持ったほうがいいですよ」 「余計なお世話だ。俺は清く正しく生きるのが目標だ」 考えてみればこの3人で行動を始めてから、誰も文句や泣き言、不安を助長させるような言動をとっていない。 最初から平然とした態度を貫き通している北川ともかく、先程祐一の前で不安を打ち明けた栞までもが明るく探索をしている。 無理をしているのか?祐一はそう思わずにはいられなかった。 だとしたら何のために?自分の恐怖を誤魔化すために?もちろんそれもあるだろう。こいつには居残りの選択肢もあった。でもここにいる。 …………俺達に気を使わせない為に……か。それで間違いないんだろうな。特に俺の為に。 名雪みたいに泣いて困るだけの女よりはずっとありがたいのは確かだが…。 気が付いたときには右手が彼女の髪を撫でていた。 「きゅ、急に、ど、どうしたんですか!?」 予測しない突然の出来事に、狼狽の色を隠せないでいる栞。 「………甲斐性を持てと言われたからな」 正直言ってこんな風に好意を寄せられても迷惑なんだが。それなのに俺は何をしている? 甚だしい偽善だ。自分はこいつのよせてくれる好意を受け入れる気などないくせに。最悪、切り捨てても構わないと思っているくせに。 祐一は心の中で自分を罵倒した。偽善者め………と。 真っ赤になっている栞から手を離した。少し狼狽している瞳が、嬉しそうな表情が俺の心をかき乱す。 俺が最愛の人を抱きしめているのを見たら、この顔がどんなものに変わるんだろう?それこそ包丁で刺されるかもな。 そうしていても俺はお前を好きになれないぞ。そう言ってやろうかとも思ったが……さすがにやめておいた。 別に俺は栞が嫌いなわけじゃない。ただ、優先順位が低いだけだ。 全員生き残って、今日の事を思い出話として語り合えるに越したことはない。 東側に向かうと2つの扉が現れ、その両方に鍵がかかっていた。 出番とばかりに祐一が扉の鍵を外しにかかった。一つの扉はあっけなく白旗を揚げたが、もう一つには手がでなかった。 これは祐一の腕に問題があるのではなく、鍵穴が付いていないので手の出し様が無かったのである。 これをあけようと思ったら反対側から開錠の作業を試みないといけないだろう。 「ちょっとどいてろ」 野球のバットを振り回す要領でハンマーを思いっきり扉へと叩きつけた。金属と金属が触れ合い、目映い火花を放つ。 しかし大きな音と火花が散った後も、傷一つ付いていない扉が侵入者を阻みつづけていた。 「この扉はいったい何で出来てるんだ!?」 痺れた腕をさすりながら驚く北川。壊れないことは予測していたが、歪みすらはいらないのは想定外だった。 誰かに壊されたりすることを前提とした扉ならともかく(一応)一般家屋に備え付けられた扉が強靭な強度を保っているのは異常だ。 北川に代わって祐一も同じようにハンマーを振るったが、結果は変わらなかった。 とりあえず扉の破壊は不可能だという結論に達した3人は、開錠に成功した扉の奥へと進むことにした。 扉の奥も予想通りに暗闇が続いていた。照明のスイッチらしき物を動かしても何の反応も無い。 一歩部屋の中に足を踏み入れると、今までとは違う感触が彼らの足に伝わってきた。酷く安定感にかける。 部屋を松明で照らすと、瓦礫の山が所々に積みあがっていた。それの影響だろう、床も酷く荒れている。安定感に欠ける理由はこれだろう。 そして、そこにそれはあった。瓦礫の山に辛うじて隠れないでいる壁にかけられたそれ。 彼らの道筋を照らす光源となりうるフレスコ画。その4枚目である。早速、隠されたメッセージを炙り出す為に撮影が始まった。 2月3日 放浪生活10年目の俺に 初めての家が出来た 俺は瞬く間に家のものと馴染んでいった 「…………………」 「………………」 「……………」 全員が唖然としていた。館の謎を解き明かしてくるはずの、現に1月には道を切り開いてくれたフレスコがこんな情報しか現れなかったのだから。 「こんな個人的な情報を教えてもらっても」 「きっと……他のフレスコと合わせると意味があるんですよ」 「そう思いたいところだな」 3人そろって大きなため息をついた。 フレスコを撮影する前より精神的活力を3割ほど削られた状態で彼らは探索を再会した。 殿を務めていた祐一が派手に転んだのは、4枚目のフレスコ画があった部屋からさらにもう一つ奥の部屋へと足を踏み入れた時だった。 「気をつけろよ相沢。瓦礫にでも頭をぶつけたら一大事だぞ。足場が悪いんだからちゃんと警戒しながら歩け」 「ああ。いきなり足に何かが……」 動かない右足に視線を向けたところで、祐一はようやく自分が置かれた状況を知ることになった。 足が動かないのは当然だ。固定されているのだから。そして一番の問題は、固定しているのが瓦礫や裂け目なのではなく人の腕だったところだ。 それは明らかに死んでいなければならない状態だった。祐一を掴んでいる腕は少々色が悪いが傷は見られないし顔色も同様だ。 一番の問題は胸より下が細く赤い紐で構成されていることだった。人間なら誰しも持っているが普段は見ない物。内臓だった。 何があったのか下半身が無くなり、上半身だけで今まで生息していたようだ。 「!!!!!!!!」 祐一が悲鳴が辺りに響き渡る。ただ、足を捕まれただけならそうはならなかっただろう。混乱はしただろうが。 死にきれない死者が助けを求めて探索者を足止めしただけなのかもしれないから。 捕まれていた右足の衣服が裂け、鋭く赤い筋が走っている。空いているほうの死者の手には鋭いつめと滴る血液が怪しい光を放っていた。 祐一と捕獲者の目が合った。その目に理性や、知性の色はまったくといって見られなかった。狂人の濁った瞳だ。 そしてその濁った瞳の被害者が、何か訳のわからない呻き声を立てた。どう聞いても好意的な会話をしたがっているとは思えない。 そんな状況を把握した北川が動いた。手にはマチェットをもっている。 地べたを這いつくばっている相手に正確に、かつ、威力を込めて刃物を振り下ろすのは難しい。 この時の彼が放った刃も腕を切り落とすところまで行かず、骨まで達する程度のを傷つけただけだった。 祐一もやられっぱなしでいたわけではない。腰にさしていたナイフを抜き、思いっきり頭部頂上に付き立てた。 頭蓋骨を貫通して脳髄まで刃が達する。傷口の隙間から血液と脳の一部が溢れ出してきた。 「!!!!!!!!」 祐一の右腕に、足に作られたのと同じ傷がつけられた。信じられない事に脳の一部を破壊されてもまだ動けるようだ。 再び捕獲者の腕が翻るが、辛うじて足を動かしてかわす。ただ、どれだけ力を込めて足を動かしても拘束は解けない。 困難だと思ったのだろう。もう一本の腕は祐一の代わりに別の人間に矛先が向けられた。横にいた女性に、だ。 「いやーーーーーーーーっ!!!!!!」 祐一のものよりも数倍は大きな悲鳴が上がり、その後彼女の足が大きく蹴り上げられた。 効果は絶大だった。骨が折れ、肉が千切れ、胴体との繋がりを無くした頭部が、サッカーボールのように放物線を描いて胴体から遠ざかる。 訳のわからない呻き声を上げていた首は松明の明かりが届かない場所まで転がっていった。 そして中枢を失った人間の半身はただ痙攣するだけの肉の塊へと成り下がっていた。完全に死んだのだ。 「生きてるか?」 「何とか…さすがに生きた心地がしなかったよ…」 返事はショックで放心状態にでもかかっているらしく、返事ははっきりとしない。 未だに捕まれたままの足を外しにかかった。死後硬直と言うべきだろうか?その手は両手で引き剥がさないと取れないくらい固定されていた。 よほど強い力で捕まれていたのだろう。その個所は深く爪がめり込み血がにじみ出ている。 引っ掛かれた個所と捕まれていた個所に手早く包帯を巻いた北川は楽しそうに祐一に話し掛けた。 「白だったぞ」 「…何の事だ?」 「いや、美坂妹のスカートの下がね。蹴りを放ったときに目に入った。あんな短いスカートだから当然と言えば当然だが。一応言っておくが狙って見た訳じゃないぞ」 「……………どんな形状だった?」 「ごくごく普通の……」 台詞を途中で止めた北川の正面には羅刹のような表情でこちらを睨む蹴りの名手が立っていた。 最後まで話していたら、間違いなく死者に打ちこまれたものより強力な蹴りが男どもに炸裂していただろう。 「財布を渡してください」 「え?何?」 「財布です。女の子からサービスしてもらったのに只で済ます気ですか?」 とたん暗い室内に大きな明るい笑い声が響き渡った。 「いや、失礼。確かにそのとおりだ。サービスを受け取ったら代価を払わないと。君は外見はあまり似てないが確かに美坂の妹だ」 指一本が北川の目の前に突きつけられた。北川は心底嬉しそうにポケットから財布を取り出し紙幣を彼女に手渡した。 「一枚多いですよ」 「自分を安売りするのは良くないな。美坂妹のサービスにはそれぐらいの価値がある」 「もしこれがお姉ちゃんなら幾らですか?」 「そうだな。倍は払おう。ただ、贅沢を言うなら金を払わないでもすむ関係になりたいものだが」 「やっぱり私はお姉ちゃんよりも劣るんですか……」 「好みの問題だろう。それに俺はまだ君の事を良く知らないから。君の方を好いてくれる人も多いはずだ」 考え込んでいる栞は横に置いておいて、今回一番の被害者の様子を気にすることにした。 右腕に4本の引っ掻き傷、右足に同様の傷。さらに捕まれたときの切り傷が今回の被害だ。 「歩けるか?」 「大丈夫。大したことはない」 祐一は立ち上がると、軽く跳ね上がったりして自分のコンディションを確認した後、奥の方へと歩き出した。 「どこ行くんだよ?」 「獲物を回収する」 「獲物?ああ…あれか」 目的の物は死体から3メートほど離れた場所に転がっていた。すぐ側には裂けた床が広がっている。 祐一は無造作にその首を拾い上げ、ナイフの柄に手をかける。両手に力がこもる。嫌な音をたててナイフが抜けた。祐一は血塗れになっているそれを拭い、再び腰の鞘へと戻した。 ナイフを抜いた場所から血液や内容物がせり出し始めた。 「………………」 用済みになった首を目の前に持ってくる。苦悶の表情と向かい合うことにした。とりあえず瞼を閉じさせてやる祐一。 こいつはいったい何を考えて俺たちを襲ったんだろうな?腕の傷口がじわじわと痛む。 一人で死ぬのが寂しかったのか?いや…道連れが欲しかった、と言ったほうが正解なんだろう。死なば諸共か。 まあ、頭をやられてガイキチ状態になっていただけかもしれない。 「不愉快だな」 頭を下ろして、その場に投げ捨てると、再び裂け目のふち辺りで転がるのをやめて静止した。 頭の中身が本格的に床に漏れ出し始めている。あっという間に床に軟体室のピンク色の物体が蠢き始めた。 「……………」 そして、しばらく考えてから側にあった床の裂け目へと蹴り落とした。 用件を終えた祐一が北川たちの所へと戻ってきた。 「ご苦労様」 北川はマチェットに付着していた血液を布で拭っていた。傍から見ていると、まるで一仕事終えた後の死刑執行官のようだ。 「祐一さん、掌に血がついてますよ」 祐一が目をやると、確かに血液が薄く掌の全体にまとわりついていた。治療をした時には無かったので、あいつの血液が付着したのだろう。 両手をこすり合わせると、凝固した血液が埃のように床へと舞い降りていった。しかし完全には落ちない。手にはまだ赤い色が付着している。 「あまり…気分のいいものじゃないな」 生命の源である血液もこうなってしまっては単なるゴミだ。そして人間の肉体も。簡単にゴミへと変化していく。 「あ、すまんすまん。こんな物いつまでも手にしておくもんじゃないよな」 北川は手にしていたマチェットを鞘に収めた。血を拭っていた布は死体の側に転がっていた。おそらく彼の持ち物だったのだろう。 「いや、そうじゃなくて…」 「今、自分がしている事が。かね?」 祐一が北川を見たときに、彼の唇の端は上がっていた。どうにも自分はこいつには勝てないようだ。 血の匂いが祐一の鼻をついた。足元に転がっている肉隗から垂れ流されている血の匂いだ。不愉快さが胸をこみ上げる。 「まあ……そんなところだ」 瓦礫の山を乗り越えて進んだ先には、一つのドアが待ち構えていた。開錠係の祐一がそれに一番に近づいていく。 手をかけるとあっさりとドアが開く。だが、どうにもいつもと感じが異なる。嫌な感じではないが。 「足元、気をつけろよ」 後ろに控えていた北川にもそれが分かっていたようだ。祐一よりもさらに。 ドアの奥に明かりを持ってくると、そこは水平な空間ではなく、地下へと続いている長い階段があることがわかった。違和感の原因はこれだ。 「地下室だな」 「降りるか?」 「それしかないだろ」 「ご尤も」 長い階段だった。おそらく1階分はあるであろう高さを下っても階段はまだ続いていた。 「すごい深さですね。なんだかこのまま進むと地獄にでも辿り着くような気がしてきましたよ」 「そうだな。いい気分はまったくしない」 「いやいや。地下にはお宝があるものと相場が決まっているぞ」 「こんな場所でお宝を見つけてもな」 それからさらに1階分の高さを降りた辺りで、ようやく足元の床が水平へと変化した。 北川が一歩足を踏み出すと、ぎしりと床が軋む音がした。地下だというのにここは木製の床らしい。 松明で照らすと、そこがかなり広い空間であることがわかる。明かりが届かずに奥行きがどれだけあるかわからない。 ただし幅は狭い。3人が横に並んで歩くと、殆ど余裕がなくなる程度にしか広がっていない。 しばらく3人が奥へと進むと、ようやく終着点が見えてきた。進んでいく先に棚らしきものが確認できる。 部屋の一番奥にある棚の詳細が分かる位置までやってくると、そこにはいくつかの筒が置かれているのが見えた。 さらに近づくと、それが数本の懐中電灯であることが皆に理解できた。祐一がその一本を手にとって見た。全体が青く塗られている。 「これが…青いライト?」 「つけてみろよ」 祐一が側面についていたスイッチを動かしてみたが、何の反応もなかった。二度三度繰り返しても同様だった。 電池が入っていないかもしれない。懐中電灯の中身を確認してみたが、そこには2本の筒が納められていた。単一電池だ。 内部をどれだけ眺め見ても普通の懐中電灯だ。これがあの赤い影を消すための道具なのか?どうにも信じられない。 何か悪意のある建設者に馬鹿にされているんじゃないか。そんな気がよぎっていた。手元にある物体は何も語らない。 「電池が切れてるみたいですね」 内部機構に異常が無いことを確認した栞が、困ったように役に立たない電池を弄んでいる。 「ほら、入れ替えてみろ」 先程から棚をごそごそやっていた北川が、祐一の手に何かを乗せた。単一電池だ。 「手が早いことで」 どうにも、電池が切れたと聞いた時点で、棚の中を物色していたらしい。早速、受け取った電池を筒に込めて蓋を閉める。 祐一が懐中電灯のスイッチを入れてみると、細長い部屋がそれを中心に青く染まった。 松明の生み出す赤と、ライトの生み出す青の光が何ともいえない不気味な美しさすら生み出している。 「これで間違いないみたいだな」 ライトのスイッチを戻した。部屋は再び赤だけに照らされる世界へと変化した。 「そうですね。これであの赤い影を消去できます」 「情報が正しければな」 「北川さん…嫌なことを言わないでくださいよ」 「何…少々上手くいってるんで、どこかに落とし穴がないか気になってね」 北川は肩をすくめて微笑んだ。 棚を物色しても、他に役に立ちそうな物は何も見つからなかった。 懐中電灯は念の為にもう1本予備を持っていくことになった。もちろん予備の電池も一緒だ。 もうここには用がない。3人はこの場所を離れて、赤い影があった場所へと足を進めることにした。 歩き始めてから30秒ほどしてからだろう。3人の背後で大きな音がした。 しかも瞬間的にではない。継続的に鳴り響き、さらにどんどん近づいてきている。 正体は彼らが後ろ向くとすぐに判明した。ちょうど通路の幅と同じ幅を持つ巨大な岩が転がってきた。直径はここにいる人間の身長よりも大きい。 あんなものに人間が巻き込まれたら、後には真っ赤な塊だけがその場に残り、床には赤く長い筋が描かれるだろう。 そんな物体が迫ってきているのだからのんびりしていられるわけがない。3人は一斉に出口へと走り始めた。 すると祐一の前方を走っていた北川が突如視界から消え去った。先頭の栞は気づかずに走りつづけている。 「北川!!」 北川は祐一の半分くらいの身長に変化した。短くなった分だけ下半身が床下へと吸い込まれている。 音はどんどん迫ってきている。死を表す音がどんどん近づいてきている。 一瞬、祐一の目が、北川の目と合った。すがるような目をしているだろう。祐一はそう思っていた。 だが実際には、彼の瞳は笑っていた。こんな今にも命の火が燃え尽きそうな状況で、困ったように笑っていた。 その目を一瞬だけ凝視する。この目は自分が見ている世界とはまったく違う世界を見ているのもしれない。 俺なんかとは違って、例え自分がどんな状況になっても恐怖や死が映らない世界を。 見捨てる方がいいのかもしれない。すくなくとも自分は助かる。それに俺が北川を窮地に追いやったわけじゃない。助ける義務はない。 それなのに祐一の体は動いていた。彼の腕が北川の両脇に回される。冷や汗が祐一の背中を滝のように流れ始めた。 何故こんな事をしているのか分からないままに、自分に腹を立てながら祐一は全力を両腕に込めた。徐々に北川の身長が伸びていく。 必死の思いで北川を引きずり上げた祐一は再び全力疾走を再開した。音はもう、空気の振動が肌で感じられる距離まで近づいてきていた。 さすがに松明を持っている余裕はなかったので、薄暗闇の中を失踪する。おそらく松明は後方で潰れていることだろう。 先行した栞は松明を固持していたし、北川がロウソクを数本設置していたので目標を見失うことは無かった。 ドアを閉めて階段を駆け上がる。それから間もなく先程まで自分がいた場所から大きく鈍い音が響き渡った。 3人は足を止めた。そして一斉に後ろを振り向いた。金属製の丈夫なドアが円形に大きく凹んでいる。 どこからともなくため息がつかれる。ようやくため息をつくだけの余裕ができたのだ。 「相沢…一つ聞いていいか?」 「内容にもよるぞ」 「ここ…室内だよな?」 「そうだ。決して古代の財宝を求めて洞窟の中を探検したりしているわけじゃない」 それだったら、こんな罠は当たり前。むしろ温い部類に入るだろう。 「そうだよな。俺たちは考古学者とそのお供ご一行じゃないもんな」 「しかしだな」 「?」 「やっぱりあったな…落とし穴。どうだ、はまった感想は?」 「愛しているぞ、相沢。お前が助けに来る姿を見たとき、俺の心は燃え上がり、股間は…」 「………………まだまだ余裕があるみたいだな」 あれだけの事があった後なのに冗談が言えるのだ。北川の心はワイヤーロープよりも太いらしいと再認識をさせられた。 「北川さん…やおいな人だったんですか」 「それは違うな、美坂妹。俺は両刀使いだ!」 一瞬空気が凍りついた。栞はのちに、この時の状況を姉に向かってそう語っている。 「…………二度と俺に近づくな。触れるな。視線を向けるな。いや死んでくれ。この場で潔く死んでくれ。刃物は持っているだろう。さあ自分に突き立てろ」 「嘘嘘。冗談だよ。俺は美坂一筋」 「香里がいなくなったら俺に手を出す気か。そうだな。そうに決まっている!俺の貞操を狙っているに決まっている」 「…そんなに嫌がられると…普段から俺がゲイって見られてたみたいじゃないか。傷つくな…」 「助けるんじゃなかった…助けるんじゃなかった…助けるんじゃなかった…助けるんじゃなかった」 「聞いちゃいない。なあ美坂妹よ、俺はそんなに普段からゲイっぽいか?男に飢えてそうな顔してる?」 「と言うよりも…祐一さんが同性愛者に迫られた経験があるのかもしれませんね。あれは普通じゃないですよ」 あれ…と言われた祐一の顔はいまだにとも言えない表情を作りつづけている。そして口は小さな声で何かをブツブツと紡ぎだしている。 確かに、栞が言ったとおりに過去に何かあったと想像させるに充分な様子だった。 その事について北川と栞は何も聞かなかった。例え親しいと言えども踏み越えてはいけない領域がある事が分かっていたから。 「…………二度とこんな冗談は言わないでおくよ」 「懸命な判断です」 長い階段を上る三人の足取りは少々重かった。 ついさっきまで、ナイスミドルな考古学者も真っ青な目にあい、全力疾走を強いられたのだから当然だ。 下るときの倍以上も時間をかけて彼らは1階へと上がっていった。 そして入ってくるときには気が付かなかった、張り紙がある事に栞が気が付いた。 庭はもっと東みたい どうやら北の方から 回らないと駄目みたい」 「北って…どっちの方向なんでしょう?」 「あの赤い影があった道が北へ続いてるよ 「北川さん、随分詳しいんですね」 「生き残るためにはありとあらゆる事を頭に入れておく必要があるんだよ、美坂妹」 扉を開けると、何も変わらない、死の支配する屋敷が広がっていた。 この部屋にやってきた時に襲い掛かってきた死体、荷物を頂いた死体。共に何も変わらずにその場に転がりつづけていた。 それから、何の問題も無く赤い影の前に辿り着いた。影は先程と同じように血のように赤い色を携えて沈黙を守っている。 ただ鑑賞するだけだったら、この影は美しい物なのかもしれない。勿論こんな状況では鑑賞しなければの話だが。 血の色は古来より、人間の心を高ぶらせてきたのだから。 「青いライトーー」 ごそごそとわざとらしく北川が懐のライトを取り出した。 「のび太君。この青いライトを使えば赤い影を…………無言で刃物を抜くのはやめてくれ」 「……抜かせたのは北川だ」 「祐一さん。確かに北川さんの態度は不謹慎ですけど、心に余裕は必要ですよ。例えどんな馬鹿な事でも」 「それ…フォローになってないぞ、美坂妹よ」 「どうでもいいからさっさとそいつを使用してみろ」 青い光が赤い影と交わると、そこには松明で照らされる淡い赤に染まった木の床だけが残った。 「おお!情報は正しかったようだぞ!」 「これで奥に進めますね」 「最後まで手を抜かない」 「へーい」 青い光は、短時間の間に赤い影を全て消し去った。3人の前に進むべき道が切り拓かれたのだ。 そして三人は先へと足を進め始めた。そして、10秒ほど進んだときだった。 「おーい!た‥助けてくれー!」 それは小さな声だった。それも距離があるせいで小さくなってしまった声だ。それがどこからか聞こえてきたのだ。 「今の声、聞きましたか!?」 返事の代わりに、男二人は声が聞こえてきた方に振り向いた。松明の炎がそちらへと一緒に向けられる。 そこには以前祐一が足を捕まれ、奈落に引き込まれそうになったものと同じ床の裂け目が広がっていた。 「助けないと!!」 栞の小さな手を祐一が掴んだ。突然の事に制動が効かずに彼女の体が前のめりになる。 「あまり…近づかない方がいい」 不満な顔。二つの瞳が祐一を非難する。祐一の手には今も大きな力を込めつづけられている。 「そんな!人がこの中にいるんですよ!」 「…気を抜いてると…そいつに引きずり込まれるかもしれないぞ」 「でも…」 「だいたいこいつは生きてるのか?」 栞の顔が凍りつく。初めてその可能性に気がついた、ここは死人が跋扈する場所だと思い返したのだ。 それでも何もしないでいるのには耐えらないのか、真剣な顔で床の下に視線を送っている。祐一はその顔を見て、そしてたまらずに視線をずらした。 どうにも、この栞の表情を見ていると、自分がどうしようもなく矮小な存在になったように思えて情けなくなる。 何も信じられない男と、全てを助けようとしている女。羨ましくてたまらない。こんな生き方ができたらどれだけいいだろう。 「まあまあ相沢。とりあえず調べてみよう。放っておくのは後味悪いだろ」 「そうですよ!放っておいてもいいんですか!?」 「まあな…。まだ助かるかもしれないしな」 「とりあえず本当にここにいるのか確かめてみますか」 北川は背中の荷物から予備の松明を抜き出し、自分が持っている燃え盛る松明の火を移した。 松明が大きく燃え上がると、今まで明かりとして役に立ってくれた松明を床の割れ目に投下した。 3人が慎重に割れ目を覗き込む。松明が重力に引かれて落下していく様が見える。 松明の放つ光がどんどん小さな点へと変化していく。そしてしばらく経った後に、割れ目に真の闇が蘇った。 「さて…先を急ぐか」 真の闇となった事を確認した祐一が闇に背を向けた。まるでを確認した子供のようだった。 「ああ。余計な時間を食ったな」 それに北川もそれになれって闇に背を向けた。 「ちょ、ちょっと!まだ何も分かってないじゃないですか!!」 もう割れ目からメートル単位で遠ざかっている男二人に栞は慌てて手を伸ばした。さっきと男女の立場が逆になった。 「そう言われたても…なあ北川」 「ああ。これだけ深い割れ目だと手の出し様がないからな。俺たちの手持ちのロープはせいぜい3mだし」 北川はもう興味がなさそうな声で申し訳ないように答えた。二人のやり取りはまるで直し様がない玩具を直してくれとせがまれている父親と子供のようだ。 助けられないと完全にわかっているのに、自分にどうしろっていうんだ。北川はそんな顔で栞をなだめに入った。 それだけの深さから声が聞こえた事には触れなかった。 「でも、まだ何もしてないじゃないですか」 「してから、こっちが危機に落ちるようじゃ困るんだよね」 「…………………」 「助けたいと思うだけで助けられはしないんだから。美坂妹には何か救出方法があるの?」 栞は何も答えない。再び地の底から声が聞こえてきたが、気にせず北川は続ける。 「俺が思いついた範囲で美坂妹ができそうな事といえば、このまま彼(彼女)を忘れるか、穴に飛び込んでお友達になるかくらいだぞ」 栞の顔が下を向く。祐一は、見えてないその表情がどのようになっているか容易に想像がついた。 「なる?お友達に?喜ぶと思うよ。美坂妹がどうなるかはわからないけど」 先程と変わらず、優しすぎる表情のまま北川は裂け目に指を向けた。 「俺は女性のやる事に口を出さない主義だし、自分の命を何に使おうが勝手だから止めはしないけど、後で美坂に怒られるのは少し困るな」 「そ、そんな事言う人嫌いです」 祐一が栞の手を掴んだ。それが強引だったのか、栞の顔に驚きが浮かんだ。 「もう…行くぞ」 北川のいう事は正しいのに、自分もまったく同じ考えなのに、どうして同調して説得する気が起きなかったのだろう。 僅かに不快感をましていた。そしてそれを無視するためにその場を背にして歩き出した。北川と栞もそれに続いて歩き出す。 その時に、地の底から響くような声が再び背後から聞こえてきた。それに反応して、栞は一度だけ振り向き、男達にすがるような目を向けた。 北川は相変わらずの笑顔を向けて、歩みを強めた。忘れろの意思表示だ。栞も歩みを止めなかった。 「それでいいんだ…。もう行くぞ。時間の無駄だ。忘れろ。そして二度と…いや、ここから出るまでは思い出すな。これは命令だ」 冷たい、黒い瞳なのに氷の青を連想させそうな冷たい瞳で祐一は栞を見ていた。 「そ、そんな言い方は」 「……中途半端な同情をするよりはいいだろう」 「中途半端じゃありません!」 「…だったら北川の言うとおりにお友達になってあげればいいだろう」 「できないだろう。それが中途半端って言ってるんだ。見なかった事にするか、突き放してやるかの方が親切だ」 「祐一さんがそんな言い方するなんて…」 「栞に見る目がなかったんだろ」 祐一は一瞬だけ胸が痛んだ。心は頭にある脳が持っているものなのに、罪悪感で胸が痛むのはどうしてだろう?祐一はそう思わずにいられなかった。 罪悪感を感じるのは、自分の心が弱いからか、それとも偽善者なのだからか、結論はでなかった。 もう一度祐一が振り返ると、栞は睨むような目で彼を見ていたが、すぐに視線をそらした。 クソッ!もう栞は俺に対しての評価は決まってしまっただろう。ここから出られたとしても以前のように接してきてくれないだろう。 そして俺も、自分の本性を見てしまった。以前の俺には戻れないだろう。ずっと自分を殺したく思いながら生きていくだろう。 何もかも昔とは変わってしまう。嫌なことが全部表に出てしまったからだ。ここにいるせいで! ここから脱出したら絶対に俺をこんな目にあわせたこの屋敷の連中を皆殺しにしてやる。 例えどんな手段を使わなければならなくても、その結果どんな事が起きようと、この屋敷のある場所を焦土にしてやる。 その時に、ここから脱出した人間の事を後悔しながら思い出させてやる。絶対にだ! 成仏しそこなって現世に留まったことを後悔させてやる! |