第0話
訪問者と闖入者のすれ違い
 SIGHT―3


 

『おまえら、何やってる! 早くコイツを墜とせ!』
 通信機からは、黒いMSからの攻撃を必死に回避しているムウの叫びが聞こえる。ノイズキャンセラーを最大にしているが、それでも辛うじて聞き取れる状態だ。
「フラガ少尉、もっとそいつから距離を取って下さい!」
 ビームライフルで狙いを定めつつ、ルナマリアは通信機に怒鳴る。
 あのガンダムもどきは、ムウのデミックへ執拗に攻撃を行っている。しかも接近戦なので、ルナマリア達としては迂闊に援護できない。
(全く……!)
 ルナマリアは胸中で舌打ちをする。ムウは完全に失敗した。
 こちらが散開した時、相手は
『包囲される危機』ではなく『各個撃破の好機』と考えたのだ。さらに一機に肉迫する事で他の敵の援護を鈍らせている。中々に戦い慣れているらしい。
 ルナマリアは苛立ちを覚えた。彼女らの隊長であれば、このような失敗は犯さないだろう。先ほど赤いデミックで母艦に帰投したようだが、生憎と隊長が本来搭乗すべき機体は作戦前からトラブルを起こしており、まともに動かせないらしい。加えて、こちらが相手にしているのは黒いMSだけではなく、タナトスZからの自衛砲座にも意識を裂かなくてはならないのだ。
(もう、手を焼かせる……)
 黒いMSのパイロットは、4機もの敵を手玉に取り、さぞ愉快な気分なのだろう。そう考えると舌打ちをしたくなった。
 だがルナマリアが考えているほど、黒いMSのパイロット――ステラは状況を楽しんでいたわけではない。
 全方位に気を配り、目の前の敵機との距離を測り、タナトスZからのろくに照準も合わせていない砲撃に当たらないよう注意を裂くのは、重労働などというレベルを超えている。ガイアがシミュレーターに近い動きをしてくれるのがせめてもの救いだったが、ステラはこの時ほど複眼を持つ昆虫類を羨ましく思った事はない。いかに戦闘能力を強化されようとも、所詮人間の目は2つしかなく、しかも別々の方向は見られないのだ。さらに言えば未だ調整が完全ではなく、操縦にも慣れきっていない新型での出撃。苦戦する要素は数多い。
『何をして……早く奪われ……のデミックを追わ……か!』
 ノイズ混じりに聞こえるカルバーン氏の抗議を、ステラは無視した。逃げた赤いデミックを追えと言っているらしいが、そんな事が出来れば苦労はしない。第一、今から追ったところであのデミックがどこに向かったかなど分かるはずもない。こうして敵の部隊が襲来した事から考えると、おそらくどこかに母艦が潜んでいるのだろうが。
「……付近の監視衛星で逃亡先を特定できませんか?」
 戦闘中にも関わらず、淡々とした口調でステラは尋ねる。向こう側がどれほど声を拾えるかは分からないが、こちらの言っている事は理解できるはずだ。
『できん!……何故……知らんが、監視衛……カメラに異常……生して……』
 やはり、監視衛星も破壊されているか、何かしらの手段で機能を妨害されているようだ。ならば諦めた方が良いのではとも思ったが、口にはしない。
「ササミヤ伍長は?」
『今、格納庫に……もうすぐ……はずだ!』
「了解」
 4対2ならば、どうにかなりそうだ。しかし、先ほどの話では格納庫にデミックが使用できる武器は残されていなかったはずだ。となると、マナミはキュベレイで出撃するというのか。果たしてあの要領の悪い少女が不慣れなMSでいきなりの実戦に対応できるだろうか。だが、その心配は後回しにしなければならない。こちらの追撃を振り払った前方のデミックがビームライフルから光芒を放った。シールドが限界に近かったので、咄嗟に回避する。だがその時、彼女は己の判断ミスに気付いた。
(……しまった!)
 彼女が避けたビームは、タナトスZの外壁――格納庫がある場所へと直撃、貫通したのだ。
 
 
 
 男性に連れられるまま格納庫にやってきたマナミは、パイロットスーツに着替えてキュベレイMk―Xへ乗り込む。格納庫の気圧が下がっているため、彼女を連れてきた中年男性はノーマルスーツを着てコックピットハッチの外のタラップに立っていた。宇宙空間では既に、ステラがガイアで応戦しているとの事だが、相手は4機なので、苦戦を強いられているらしい。
(大丈夫……かな)
 不安を感じざるを得ない。ステラに対してではなく、自分に対して。
 未だ慣れていない新型での出撃。果たしてステラの足を引っ張らないで済むのか。無事に生きて帰れるのか。実のところ、マナミとしてはデミックの方を使用したかった。愛着ではなく、比較的扱い慣れたMSだからだ。しかしキュベレイMk−Xは本格的な運用試験に備えるため、サイコミュ兵器であるファンネルミサイルを既に搭載しており、腰の両側に装備されたガトリング砲以外は使用できる状態であったため、こちらでの出撃を命じられた。数少ないデミックのほとんどがオーバーホール中であったり、武器が使えない状態であったりした事情もある。だが、まだ満足に動くか分からない新型に不安を抱くなと言う方が酷であろう。
(でも……)
 先ほどの光景を思い出す。
 血を流して倒れていた多くの人間。
 恐怖と嫌悪感で何も出来なかった自分が、今となっては腹立たしい。何故あの時、手当てや救出の手伝いなどができなかったのか。自分のあまりの情けなさに、半ば自暴自棄で出撃を決意したのである。
「お譲ちゃんはいくつだ?」
 コックピットのシートに座り、劣等感を抱えながらシステムの立ち上げを行っているマナミに、中年男性がハッチの外からそのように尋ねてきた。
「え、13になります、けど……」
「そうかい……」
 男性は何やら考え込み、ヘルメットのバイザー越しにも分かるような沈痛な面持ちで、首を振った。
「俺の息子よりも下の歳で軍隊にいるとはな……酷い話だ」
 その言葉にマナミは何も返答できない。当事者たるマナミにとって、それがどれだけ酷い事なのかというのは、理解の範疇外にあった。何故なら――。
「あたしには……他に行く所もありませんから」
 それだけ言って、キュベレイを起動させる。球状を成すコックピットが周囲の光景を映し出した。
「なら、余計に酷い話だ……死ぬなよ。お譲ちゃん」
「……は、はい」
 男性が自嘲気味に笑って、ハッチの前から離れた。
 キュベレイのハッチが閉じられる。次の瞬間――。
「え――?」
 マナミが感じたのは、激しい振動だった。直後に全天周モニターが周囲の光景を部分的に拡大する。
「う、嘘……」
 呻くしかなかった。僅か一瞬の間に、格納庫は地獄絵図と化す。
 外で展開されている戦闘の流れ弾がこの格納庫を直撃し、外壁に穴を開けたのだ。穴そのものは大きいわけではなく、すぐに自動修理システムが硬化剤で塞いだ。だが、格納庫内で爆発したビーム弾が周辺を破壊したために資材が吹き飛び、作業に従事していた人間達を巻き込んだ。
(あの人は……?)
 目の前に周辺状況を映すモニター画面を呼び出し、先ほどの男性を探す。キュベレイの頭部に光が宿る。デミックのモノアイと同じ物が3つ――キュベレイMk―Xの象徴であるトリプルアイだ。
 程なくして彼は見つかった――破壊されたコンテナの破片に腹部を貫かれ、紅い飛沫と内臓を撒き散らしている状態で、である。
「あ、ああ……」
 見間違い様もなく死んでいる。あの状態で生きている方がおかしい。男性の体内から溢れ出た血は、内臓の破片と共に無重力の空間へ無数の細かい球状となって飛び散っていく。
「嘘……嘘……」
 手が小刻みに震えた。
 理性が停止し、虚ろな言葉が口から零れる。格納庫には他にも人がいた。しかし、モニターには動いている者は映らず、原型を留めていない肉塊ばかりが見える。
『ササミヤ伍長!
 何をやってる!
 キュベレイには乗ったんだろ、早く発進しないか!』
 通信機から怒鳴り声が聞こえて来るが、マナミの意識には届かない。
『そこにはもう生存者はいない! ハッチは自力で開けてくれ!
 ルーシェ少尉が苦戦しているぞ! 急げ!』
(こんなのって……さっきまでここで……)
 つい数秒前まで、この場で会話をしていた。息子がいるらしい事を言っていた。死ぬなと自分に言ってくれた。その人物が、ほんの一瞬の内に冷たい死体に変わってしまったという事実。居住区で目撃した惨状。そして時折、夢の中に出てくる紅い光景。
 様々な事が頭の中を回り、精神が飽和状態と化したマナミの中で停止していた理性が何かに切り替わる。
「こんな……こんな事……」
 また、自分は何も出来なかった。先ほどの居住区の時も……そして『あの時』も……。
(あの時……?
 あの時って何?)
 思い出せない。忘れてはならない記憶が脳裏を横切った気がするのだが、どうしても思い出せない。
 錯綜する意識の中で、気付けばキュベレイを動かし始めていた。
 機体各所に装備されたバーニアやスラスターを少しずつ吹かしながら、腕部に取り付けられたビームサーベル発生装置から光の粒子で構成された剣を生み出し、破損したハッチを切断した。
 切り離されたハッチが外に――宇宙空間に流れていく。格納庫内に残されていた僅かな空気が、何かの破片や死体と共に真空中へと放出される。
 闇の向こう側に散りばめられている星々の美しい輝きは、しかしマナミの目には入らない。
 肩部バーニアの出力を上げ、無限の虚空に躍り出る。火星の赤と宇宙の闇に照らされ、灰色の機体が独特の色彩を帯びた。
 警報が鳴り、眼前のモニターに拡大映像が映し出される。緑のデミックが1機、ライフルを構えて接近して来た。
 ライフルの銃口から光の矢が2本放たれる。
 1本目はキュベレイの背後、タナトスZの外壁に命中し、2本目は灰色の装甲を捉えたものの、直撃する寸前で四散してしまう。両腕のIフィールド・バリアを発生させる装置は問題無く稼動しているようだ。
「この……!」
 先ほど格納庫を撃ったのはあのMSなのか。その可能性を考えた瞬間、マナミの思考が真っ白になり、いくつかの光景が浮かんでは消える。
 居住区で目の当たりにした地獄。助からない重傷を負って苦しむ人間。千切れた腕。
『死ぬなよ。お譲ちゃん』
 キュベレイに乗り込んだ際に話していた整備員の笑み。
 そして――。
(頭が……)
 ――こめかみにナイフを突き立てられたかのような鋭い痛み。
 ――脳裏に蘇る夢の記憶。
 ――辺り一面に広がる紅い光景。
(……割れそう)
 ロックオン警報が鼓膜を叩く。
 デミックが持っていたシールドを水平にして、裏に取り付けられていたグレネードを発射する。実弾ならばIフィールドでは防げない。
 いつもなら、慌てて回避運動を行うマナミだが、この時は明確な殺意の光が灯った瞳でデミックを睨み付けた。
 そして次の瞬間、自身でもよく分からない叫び声を上げていた。
 キュベレイの肩を覆っているバインダーの裏からファンネルミサイルが2基。背中の菱形コンテナから1基。合計3基が発射される。
 1基が射出されたグレネードに命中して爆発を起こし、残る2基がデミックへ向かっていく。
 ライフルを発射しようと構えたデミックだったが、まるで生き物のように不規則な軌道を描くファンネルミサイルに唖然としたのか、反応が一瞬遅れた。
 右脚と、コックピットのある胸にミサイルが直撃し、小爆発を起こす。その衝撃で大破したデミックは流され、徐々に火星の重力に引かれて行き、こちらの警報が鳴り止んだ。
「ぐ……!」
 急激な不快感に襲われ、マナミは慌ててヘルメットのバイザーを上げる。
 まるで何か悪いものが自分の体を通り抜けたような感覚。あまりの不快感に、マナミは再び汚物を吐き出してしまった。無重力空間に無数の球状となって漂う胃液。マナミが吸引機を作動させると、胃液はコックピット内を移動してフィルターに吸い込まれていく。それはどことなく、大魚の口に吸い込まれていく小魚の群れを連想させた。
 疲れたようにシートに背をもたれ、口内の酸味を取り除こうと何度も唾を吐き出す。それらもフィルターに吸い込まれるのを見届け、マナミは吸引機を止めた。
(気持ち悪い……)
 凄惨な光景を見た直後というのもあるが、こうも急激な不快感がやって来るものだろうか。
(何なのよ……)
 サイコミュ兵器を使用するようになってから、どうにも体の調子が悪くなる時がある。元々体調は不安定な方ではあったのだが、一体どうなっているのだろう。だが、今のマナミにはそれを考える事も億劫で、新たな吐き気を必死で堪えるのが精一杯だった。
 
 
 
 味方機の内、ミゲル・アイマン軍曹が搭乗するデミックの通信が途絶した。
 ルナマリアはデミックの頭部を巡らせ、その味方機がいた方角の映像を拡大する。見れば、片脚を失い、コックピット部分が大破したデミックが無様に回転しながら在らぬ方向へと流されていく。その方向から考えると、いずれ火星の引力に捕まるだろう。
「アイマン軍曹!」
 パイロットの名前を呼ぶが、応答はない。
 僅かな間とはいえ意識を別の方向に向けていたため、黒いMSが彼女のデミック目掛けて発射したビーム弾に気付くのが遅れた。
「……!」
 激しい振動でシートが揺さ振られる。パイロットにかかる衝撃を和らげるショックアブソーバーが何重にも施されてはいたが、それでも上下感覚を失調してしまう程だ。
 衝撃で機体に慣性がつき、全天周モニターの映像が一方方向に流れる。被弾警報がコックピット内にけたたましく鳴り響いた。
「この……!」
 機体各所のアポジモーターを自動運転に設定し、体勢を立て直す。損傷度をチェックしていたダメージコントロールシステムによると、左脚を失ったが、誘爆の危険性は無いらしい。
『隊長から合図の信号が来た。帰投命令だ』
 示し合わせたようなタイミングで、通信機からムウが伝えてきた。
「了解!」
 機体のバランスを欠いた状態で戦闘を続行する意思は無い。
 ビームライフルを乱射して弾幕を張り、素早く後退する。黒いMSは追撃する気は無いのか、こちらの攻撃をやり過ごすとタナトスZに戻っていく。
『くそ……戦死者1名なんて、酷い様だな……』
 ムウの悔しげな呟きが聞こえる。
 ルナマリアは疲れたように溜息をついた。彼女はこの部隊に配属されて日が浅いため、先ほど戦死したミゲル・アイマン軍曹とはほとんど口を聞いた事が無い。そのため親しいわけでもなく、大して感傷は抱かなかった。
 とはいえ、予想外の闖入者に意表を衝かれた事は確かであり、あまり面白いものではない。
 ちらりと、モニターの隅に映った機影に視線を投げる。拡大されないので全貌は分からないが、機体色が灰色である事だけは分かった。
(こういう時は、覚えてなさいって言うのがお約束かしら?)
 それではドラマにおける主人公の引き立て役や間抜けな悪役のようではないか。馬鹿馬鹿しさを覚えたルナマリアは、置いて行かれないようにデミックの速度を上げた。
 
 
 
 敵が撤退していく様を見て、ステラは後退する。不完全な新型MSで追撃戦をやるつもりはない。
 ライフルのエネルギーはほとんど底を尽き、シールドも耐久限界を迎えている。よく持ったものだと感心した程だ。
 ステラは、ふとモニターの1つを拡大する。そこに映っていたのは破壊された格納庫付近に漂う、トリプルアイのMS。まるで意思の無い人形のように、無重力空間にその灰色の装甲を晒している。
「ササミヤ伍長」
 呼びかけたが返事は無い。通信状態は良好とは言えないのだが、それでもこの距離ならば聞こえるはずだ。
 ガイアをキュベレイに近付け、シールドから手を離してキュベレイの右腕に触れる。宇宙空間における最も確実な通信方法である、接触回線だ。相互の声をダイレクトに送るのでノイズがほとんどなく、傍受させる危険もない。
 ガイアが目と鼻の先に近付いて右腕に触れても、キュベレイは反応を示さない。
「ササミヤ伍長。敵は退却したわ。損傷箇所は?」
『……ありません』
 
 ようやく返って来た声は擦り切れそうな紐のように、酷く弱々しいものだった。
「どこか負傷しているの?」
『いえ……何だが、気持ち悪くて』
 
 実戦でサイコミュを使用したのは初めてなのだから、無理も無いだろう。
「機体は動かせる?」
『はい……』
「なら、衛星の反対側に行くわ。ここはもう使えない」
 そう言ってステラは格納庫を見る。
 ハッチを失い、内部の惨状が窺えた。ただ1発のビーム弾で、よくここまで破壊できたものだ。
「ついて来れるわね?
 行くわよ」
『……了解』
 ガイアをタナトスZの外壁に沿って移動させる。キュベレイも後に続いた。
 通信を入れ、別の格納庫へ向かう旨を伝えると、オペレーターがそれに答える。カルバーン氏は通信を入れて来ない。
 流れ弾が着弾したのだろう。岩の壁には大小様々な傷が付いていた。カルバーン氏は消沈しているのだろうか。ここまで破壊されては損害額がどれほどになるか。責任を追及されるのは必然であり、最悪の場合、解雇されるのは間違いない。
(他人事じゃないわね……)
 格納庫のハッチが開くのを眺めつつ、ステラは軽く肩をすくめる。情報を盗んだ侵入者が乗ったMSを取り逃がしてしまったという点で、彼女にも責任はある。とはいえ、侵入者の存在を察知できなかったマクシル社の保安体制にも問題はあったろう。
 ふと、左後方にいるキュベレイに視線を投げる。灰色のMSは、パイロット同様にどこか放心しているように見えた。
(やはり、サイコミュの副作用か……)
 新型の余剰部品と量産型の急造機と思っていたが、とんだジョーカーを引かされた気分だ。ステラは軽く溜息をつき、前方を見据える。開いたハッチから見えた格納庫は、老朽化からあまり使用される事は無く、閑散としていた。
 
 
 
「……以上、報告を終わります」
 デスクに座っている人物を静かな瞳で見下ろし、ステラはそのように締め括った。
 報告書と共に口頭による要点の説明を聞き終えて、デスクの人物は視線を上げて金髪の少女を見据える。
 藍色がかった黒髪は首筋まで伸び、精悍そうな顔立ちに鋭い眼光を放つ瞳。それは時折、彼がまだ18歳という年齢である事を忘れさせる。赤い軍服もそれなりに板についていた。
 アスラン・ザラ。
 ネオ・ジオン火星方面軍第13独立実験部隊の隊長を務めている人物で、階級は少尉。
 彼らがいるのは、ムサカ級軽巡洋艦
『フェニキア』の重力ブロック内にある隊長室。機体受領を済ませたステラとマナミは、母艦であるフェニキアに帰投していた。
 マナミにはキュベレイから降りた後、念のために医務室へと行かせ、ステラは隊長室に呼ばれて詳細の報告を行っていたところだ。
「ご苦労。機体は整備兵達に任せて、おまえは休め。ササミヤ伍長にもそう伝えるように」
 事務的な口調でアスラン。
 ステラは表情こそ動かさないが、声音をやや変えた。
「ですが、ザラ隊長……責任問題は?」
「何の話だ?」
「何の話と申されましても……つい先ほど報告した内容に関してです」
 ステラの言葉に、アスランは再び報告書に視線を落とす。
 タナトスZに侵入したのは間違い無く
『地球派』の兵士であり、その兵士はマクシル社の機密情報とMSを盗んで逃亡した。ステラが追撃したものの、地球派のMS部隊に妨害されて取り逃してしまう。ステラはその件に関して何らかの処分を受けるのではないかと考えていたのだが……。
「この場合、問われるのはマクシル社の管理責任だ。お前達は偶然巻き込まれただけ……違うか?」
「いえ、仰る通りです」
「そして、カルバーン氏はあくまで協力者であって、おまえの上司じゃない。彼の言う通りにできなかったからと言って、おまえが責任を追及される筋合いはないだろうに」
 それに2人とも慣れない新型MSでの出撃であったにしては善戦したと言って良い。そこまで指摘して、アスランは両肘を立てて指を絡ませる。
「そもそも、新型の受領に示し合わせたような敵の襲撃、そして手際の良さ……妙だと思わないか?」
「……というと?」
 含みのあるアスランの物言いに、次の言葉を予測しつつもステラは眉をひそめて聞き返す。
「地球派の連中は、こちらの情報を入手していたんじゃないかって事だ」
「つまり……マクシル社が裏切ったと?」
「そこまでは言ってない。裏切るなら、もっと上手いやり方がある。社員の中に内通者がいると考えれば、可能性は高いんじゃないか?」
「なるほど……」
 だとすれば、それはタナトスZの内部にいた者か。あるいは本社の方に潜んでいて情報だけ送ったのか。いずれにせよ、事実ならば確かにマクシル社の方に責任があると言えるだろう。しかし、それなら何故、最初から新型を奪うという事をしなかったのだろう。ガイアやキュベレイは搬入されたのがごく最近とはいえ、釈然としない。おそらく、情報を洩らした者か、あるいは実行した者に落ち度があったのだろう。ふと、その実行犯と思しき緑色のノーマルスーツを思い出した。
 アスランには気付かれないように、ステラは歯噛みする。自分があの時、もっと早く反応していれば騒ぎは小さくて済んだかもしれない。とはいえ、そこまで責任を感じる程にステラはタナトスZの面々と馴れ合っていたわけでもなかった。他人と関わりを拒絶する傾向が強い彼女にとってはあの場で犠牲になった人間達が不運だった、という程度の認識でしかない。
「まぁ、その辺りの事は俺が報告しておこう。クライン・コンツェルンにも知らせておく必要はあるかもな……」
 クライン・コンツェルンというのは、火星圏で最大の規模を誇る財閥であり、火星派支援の中心組織でもある。火星にある企業のほとんどはクライン・コンツェルンの傘下にあり、マクシル社もその1つだ。実質的に火星圏の経済の根幹を握っていると言っても過言ではない。内部に裏切り者がいるとなれば、マクシル社に調査の手が伸びるのも時間の問題だろう。
「盗まれたデータの内容については、既に報告が行っているはずだが、俺達には知る権利は無いだろうな。そんな事を知って余計なトラブルに巻き込まれるのも御免だ」
 アスランは溜息混じり言った後、ステラに他言無用の念を押す。そして事務的なやり取りを終えるとステラは敬礼を施してから退室した。彼女とアスランは階級こそ同格だが、隊長であるアスランの方が立場は上なのだ。軍隊という組織の手前、必要な礼法は守らねばならない。少なくとも、相手の目が届く場所では、だ。
(軍人の失態は揉み消し……か。これで貸しでも作ったつもり?)
 肩越しに閉じたドアに視線を投げ、ステラは胸中で毒づいた。
 アスランの言っている事は理解できるし、それが正しいとも分かっている。だが元来、軍隊というものに強い嫌悪感を抱いているステラの目には、軍人のやる事は全てが歪んだ事象のように見えるのだ。
 アスラン・ザラはステラやマナミと違って強化人間ではない。つまり、生まれ持った才能やその後の努力、更には軍内部の有力者である親の七光りによって現在の地位にいる。しかし、ステラは同階級で1歳年長のこの上司には、決して好意を抱いていない。
 親の権力が影響しているとはいえ、強化人間でもないのに18歳で少尉の地位にあるのだから、それなりの能力はある。だが、他人に責任を擦り付けるやり口は、いつもの事ながら気に入らない。そのような性格だから、このような寄せ集めの部隊に回されるのだ。
 ふと前方で、同じ赤い軍服を身に纏った見覚えのある人物が休憩用のベンチに座っていた。その人物は足と腕をそれぞれ組んで、歩いて来るステラを見据えている。
「聞いたぞ。我らがエース様が、1機も撃墜できなかったんだって?」
 あからさまに挑発的な態度を取ってくるのは口調こそ乱暴だが、16歳の少女である。
 カガリ・ユラ・アスハ。
 同じ部隊のMSパイロットであり、階級は軍曹。ステラと同様、金髪の少女だが、ろくに手入れもしていないので、適当な長さに切られた髪は痛んでいるようだ。
 性格は直情的であり、粗野であり、口より先に手が出る。それでもMSの操縦技術にはそれなりの非凡さを示し、問題児の1人としてこの実験部隊に配属された。
 ちなみにエースとはステラの事で、部隊内では彼女が最もMS操縦の腕が良いので、そう呼ばれている。カガリは、わざとらしくそのエースという単語を強調して言った。
 彼女がこのように自分に突っかかって来るのはいつもの事なので、ステラは無視して通り過ぎた。
「だんまりか?
 まぁいいさ。でも、マナミは1機墜としたんだって?
 ずいぶんな進歩だな。そんなに新型の性能はいいのか?」
 通り過ぎたはずだが、声がすぐ後ろから聞こえて来る。付いて来ているらしい。
「なのに、エース様は防戦一方だったわけだ。ひょっとしてデミックに慣れ過ぎて最新型の性能についていけないんじゃないのか?」
 ステラは溜息を挟んで立ち止まる。背後の足音も止まった。
 振り返ると、カガリが挑戦的な表情で立っている。無視するつもりだったが、このままでは周囲の部屋の人間に迷惑が掛かる。
「……何が言いたいの?」
 カガリとは対照的に静かな口調で、ステラ。
「うん?
 そんなの決まってる。新型を俺に寄越せ」
 やはりそういう事か。ステラは内心で呆れながらも、表情には出さなかった。
 彼女のあまりに分かり易い性格は、想像力に乏しい人間でも容易に看破できる。
「おまえなんかより、俺の方がよっぽど上手く扱えるぜ?」
「そうね……」
 自信満々にうそぶくカガリに、ステラはどうでも良さそうに相槌を打つ。
 何故か、カガリはステラを過剰にライバル視している。ステラにとってははた迷惑な事この上無い。
「でも、それは隊長が決める事よ。私達がどうこう言っても意味は無いわ」
 この後の展開は予想しつつも、用事をさっさと済ませたいステラはそう言ってカガリの思考を誘導する。
「よし、ならザラ隊長に掛け合って来てやる!」
 案の定、カガリは踵を返して隊長室に向かって行った。その背中を見送るのもそこそこに、ステラは医務室へと足を向けた。
 おそらくカガリはアスランに直接具申をしに行ったのだろう。自分を新型のパイロットにしてくれ、と。
『そうか、それならステラと模擬戦をしてみろ。それに勝ったらおまえに新型を任せる』
 人の悪い笑みを浮かべてそのように言うアスランを、ステラは容易に想像する事が出来て頭を抱えたくなった。
 
 
 
「うむ……さして異常は無し、か」
 医務室にて、マナミは検査を受けていた。サイコミュの副作用が心配されていたが、どうやら問題は無いらしい。
 検査が終わり、軍服を整えるマナミに、フェニキアにて軍医を務めるアルコニ・ヨリア大尉が話しかける。40代を過ぎる軍医は、その気さくな人となりでフェニキアの乗員から親しまれていた。
「別に変わった所は無いな。今回は薬もいらんだろ」
「はぁ……」
「最初の頃より安定してるくらいだ。結構な進歩だな」
 軽く笑みなど浮かべながら話すアルコニ。マナミは今ひとつ納得しきれずに眉をひそめる。
「何だ。嬉しくないのか?
 体調が安定してるっていうのに」
「は、はい、それは嬉しいんですけど……」
 どのように言うべきか、マナミが首を捻っていると、来訪を告げるチャイムが鳴った。
『ニコルです。検査の方は?』
「ああ、終わったよ。もう入っていいぞ」
 スピーカーから聞こえた若い声。
 ドアが開くと、マナミと同じく赤い軍服に身を包んだ少年が入室して来る。
「あ、ニコルさん……」
 その人物を認識し、マナミは呟く。
 ニコル・アマルフィ。
 マナミと同じMSパイロットで年齢は17歳。階級は曹長。短く、行儀良くまとめた髪、大人しそうな顔立ちには未だ幼さが残り、時折年齢より若く見られる事がある。良家育ちという言葉が似合う少年だったが、実家はさほど裕福ではなかったようだ。
 ニコルは軽く手を挙げて、マナミに挨拶する。
「マナミちゃん、体の具合は?」
「はい、良いみたいです」
「そうか、それならいいんだけど……」
 肩をすくめて、ニコルは苦笑を浮かべる。マナミにとっては面倒見の良い兄のような存在だ。良識を兼ね備えたこの少年が何故、問題児揃いの実験部隊に配属されたのか、隊内7不思議の1つであろう。
「災難だったね。新型を受け取りに行った先で地球派に襲撃されるなんて」
「いえ、ほとんどルーシェ少尉が戦っていたんです。あたしは……」
「それでも、1機は墜としたんだろう? よくやったじゃないか」
「は、はぁ……ありがとうございます」
 椅子に座ったまま、マナミはぎこちなく頭を下げる。どうにも褒められる事に慣れていない。原因は彼女の幼い頃の経験なのだが、本人は気付いていなかった。
「ニコル。悪いが、暇ならこれを艦長に届けてくれるか?」
「はい、分かりました」
 アルコニが書類を3枚ほど差し出す。それを受け取り、ニコルははたと気付いたように口を開く。
「そういえば大尉、整備兵の1人が体調不良を訴えてましたけど」
「いつだ?」
「今朝です。今は持ち込まれた新型の整備中かと」
「すぐにここまで引き摺って来てくれ。戦闘中でもないのに倒れられでもしたら、俺の管理責任が問われる」
「了解」
 笑いを堪える表情で答えてから、ニコルはマナミの方を見る。
「それじゃあ、行こうか。もう大丈夫なんだろ?」
「はい……先生、ありがとうございました」
 マナミは椅子から立ち上がり、アルコニに頭を下げた。
 アルコニは微笑みつつ、
『またな』とでも言いたげに広げた手の指をわきわきと動かす。
「ああ、具合が悪くなったらすぐに言うんだぞ?
 君は元々、体調が不安定な上に、やたらと我慢する癖があるからな」
 ニコルの後に続いて医務室から出て行こうとしたマナミは、その言葉に振り返り、苦笑いを浮かべて退室した。 
 
 
 
 通路に出ると、すぐにステラと出くわした。彼女も医務室を目指していたらしい。
「あ……ルーシェ少尉」
 マナミのいささか間の抜けた呟き。
 ニコルが上官たるステラに敬礼を施したので、マナミも慌ててそれに倣った。ステラは軽く返礼し、単刀直入に用件を切り出す。
「マナミ。隊長から伝言よ。『任務ご苦労、機体は整備兵に任せて休むように』」
「は、はい……」
 鋭い眼光に気圧され、何となく圧迫感を感じてマナミは頷いた。ステラの吸い込まれるような青い瞳は、まるでこちらの心を全て見透かしているかのように感じられる。
「少尉。持ち帰った新型はいかがなものですか?」
 マナミの様子を見て取ったニコルが、別の話題を切り出した。ステラは無意識の内に他人を威圧するような雰囲気を漂わせる事があり、その度に会話がぎこちなくなる。そういった場合の緩衝材となるのが、ニコルの役目だ。
「量産型よりはマシな性能と言ったところね」
 愛想の無い顔と声でそれだけ言うと、ステラは歩き出す。その後を、ニコルとマナミが小走りに追いかけた。
「ガイア……でしたか?
 変わった変形機構を持っているらしいですね。4脚型なんて聞いた事が無い」
「開発者の気まぐれよ。使う側の事を考慮に入れてない設計だわ」
 いつも通り、辛口なステラの評価。
 実際、変形を行った際の振動は酷いもので、並のパイロットでは気分を悪くしてしまう。実用性があるのか無いのか不明な兵器は、欠陥品よりも質が悪い。
「しかし、あれはガンダムタイプですよね?」
 ニコルが洩らした言葉に、マナミは記憶の巣からその単語に関する情報を引き出す。
 宇宙世紀0079年に地球連邦軍が開発した伝説的MS
『ガンダム』。
 ガイアの頭文字である『G』はそのガンダムの意味である。だが――。
「ガンダムなんて……今は象徴としての意味以上はないわ。性能の良し悪しは見た目じゃないもの」
 ステラにとっては取るに足りない事実である。大昔に活躍したMSに顔が似ているからといって、一体何だというのだ。
「もう1機のキュベレイというMSについては?」
 ニコルの質問に反応を示したのはマナミだった。彼はステラに尋ねたようだが、キュベレイならばマナミに聞くべきではないのか。
「マナミに誂え向きなMSね。この部隊の中でサイコミュを扱えるのはこの子だけだし、前衛機の援護を主眼としているなら、ポジションを変更する必要も無い」
 マナミの疑問を他所に、ステラはキュベレイの性能について、マナミ以上に的確に答えた。なるほど、ステラに聞く方が確実というわけだ。
「ただ……」
「ただ?」
 珍しく言葉を濁したステラに、訝しく思ったニコルは同じ台詞を反芻する。ステラは何やら考え込んでいたようだが、数秒後に頭を振った。まるで自分の考えを追い出しているかのようだ。
「……いえ、何でもないわ。私は格納庫に行ってガイアの整備をする。あなた達は?」
 話を無理矢理終わらせ、ステラはその様に言い、通路の分かれ道で足を止める。その態度にニコルとマナミは一瞬、顔を見合わせるが、すぐにステラに向き直った。
「僕は、先生から渡された書類を艦長に届けないと……」
「あたしは……」
 ニコルの後に言いかけて、ふとマナミは言葉を止める。そう言えば、この後は何をすれば良いのだろう。
 思案顔になるマナミにニコルが笑いかける。
「部屋で休んでなよ。今回は結構疲れたんじゃないかい?」
「はぁ、でも、それならルーシェ少尉だって……」
「私はサイコミュを使用したわけではないから、問題は無いわ。アマルフィ曹長の言う通り、部屋で休んでいなさい」
 それだけ言ってステラは格納庫の方へ向かって行った。ニコルも
「それじゃ」と軽く手を振りながら艦長室へと行ってしまったので、仕方なく部屋で休む事にする。
「はぁ……」
 溜息を1つ挟んだ。
 マナミの脳裏を掠めたのは、デミックを撃墜した瞬間に感じた強烈な不快感。あれは一体何だったのか。
(何か……ううん、誰かがあたしの中を通って行ったような……)
 その疑問と同時に、あのデミックのパイロットはどうなったのかという思考が頭を過ぎる。
(そんなの……決まってる……)
 あまりにも馬鹿馬鹿しい。死んだに決まっている。どうして今更そのような事を思い出さなくてはならないのだ。
(あたしが、殺した……)
 そんな事を考えても仕方が無い。自分は火星派の人間で、地球派とは現在抗争中である。人が死ぬ理由を考える事も、自分が殺してしまった人間について考える事も今更だ。そもそも、あそこでデミックを墜とさなくては自分が死んでいたはずであり、それ以前に何人もの人間の死を、マナミは目撃している。あのデミックはそうした光景を作った元凶の1つなのだ。
(分かってる……分かってるよ。そんな事くらい……)
 しかし、頭では理解していてもそう簡単に吹っ切れるものではない。あのデミックにはどんな人間が乗っていたのだろう。自分のような子供に殺されてしまった事を知らないまま、天国か地獄にいるのだろうか。
『そんな事を考えても無意味よ。遅かれ早かれ、人間は死ぬように出来ているんだから』
 懐かしい人物の声が記憶の中に蘇った。
(お姉ちゃん……)
 そういえば昔、姉がそんな事を言っていた気がする。ふと、軍服の胸元に触れた。そこには、肌に直接身に着けているロケットの感触がある。
「く……!」
 だが、こめかみに痛みが走ったので、慌てて思考を止める。
 
 しばし頭を押さえてその場に蹲っていると、すぐに痛みは引いた。
「はぁ……」
 立ち上がって再び溜息を吐き出す。余計な事ばかり考えるのは止した方が良い。さっさと部屋で休むとしよう。
「何か、眠くなってきちゃった……」
 気を緩めたら睡魔がマナミの意識を侵略し始めた。その侵攻速度は迅速で、まもなく意識が混濁を始める。
 小さく欠伸をし、マナミは自分の部屋に向かう。こういう時は逆らっても仕方が無い。どうせ休むつもりだったのだ。ここは睡魔の占領下に置かれるのも良いだろう。
 宇宙世紀0118年。
 地球圏と火星圏の狭間で、様々な人間の思惑が交錯していた。

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