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第1話
優しい日差しの出る昼頃、なだらかな斜面に生い茂る草むらに、若い男が一人、寝そべっていた。時折そよぐ風が若草の匂いを運びながらそっと頬を撫で、髪を靡かせる。それは心地良く、全身を包み込む毛布のように暖かい日光との組み合わせが、男を安らかな眠りに誘っていた。
この場所は、この男、カヴィアス=ホリディのお気に入りの場所であった。日が落ちるまでなら、家のベッドより遙かに心地が良い。青年の住んでいる村からも少し離れているので誰に邪魔されることなくゆっくり寝る事が出来る。この近辺には獰猛又は危険な動物はいなく、寝首をかかれるという事も無い。時折鳥の囀りが聞こえるだけである。勿論、小鳥の囀りが騒がしいと思った事はない。
彼は毎日この時間、このようにのんびりと過ごしていた。そして彼はこれからもこのようにのんびりと暮らし続けるのだろうと思っていた。自分が、他の若者のように村を出て旅立とうなんて考えは微塵も無かったからだ。彼は毎日決められた仕事だけをこなし、後は適当に暇を潰すような、変化もない平凡な生活さえあれば他は要らなかった。
それは突然だった。眠気に負けた瞼が視界を閉ざす寸前に、偶然目を引く物が映ったのだ。カヴィアスは目を開けてそれを目で追いかけた。一旦は見失ったが彼は再びそれを、今度ははっきりと見つけた。
カヴィアスの目を掠めたのは、見た事も無い大きく黒い鳥だった。まるでシルエットのような黒一色のその鳥は村の方に飛んでいき、そして見えなくなった。
「あれが……渡り鳥って奴か……?」
カヴィアスの口から自然と言葉が漏れた。彼には飛び去った黒い鳥が、不吉な物に見えた。胸を綿でゆっくりと絞められるような感覚を覚え、溜息をついた。その直後、彼はついさっき自分が考えた事を馬鹿馬鹿しく思い、考えるのを捨てて寝入った。瞼を閉じた後にすぐ聞こえた、まるで喉を潰した男の悲鳴のようなおぞましい鳴き声も、彼には大して響かなかった。
「これがお前の作る最後の晩飯かぁ」
カヴィアスは何ら感慨も無い口調でそう言い、テーブルに並んだ夕飯を食べた。夕飯のメニューは、パンとローストチキンと野菜スープ。 普段とあまり大差ないメニューだ。
「別に最後じゃないって、一年くらいしたら帰るつもりだって言ってるでしょ」
言ったのはカヴィアスの向かいに座っていた少女、アミリア=ホリディだった。アミリアはカヴィアスの妹であり、たった一人の肉親である。だが2人とも両親についての情報は何一つ持ち合わせてなく、本当に肉親であるかどうかは不明。ただ2人とも外見が似ているという事と、物心ついたときから2人一緒にいた為、自然と兄妹と認識されていったという、不確かな肉親であった。尤も、カヴィアスにとってはこの事実はさして問題ではなかった。
その物心ついた時から一緒に過ごしてきた妹が、明日旅に出る。前々から聞いていた事ではあったが、別れの日がすぐ其処まで迫ると、カヴィアスの心にぼんやりとした寂しさが広がっていった。
「一年かぁ、長いなぁ。その間俺はずっと一人かぁ。面倒だな。一人だと飯も掃除もずっと俺一人でやらなきゃいけないんだよなぁ」
「みみっちい事言わないの」
「俺にとっちゃあでかい問題だ。俺は面倒が嫌いなのは知ってるだろ?」
「そんなに家の仕事が嫌なら一緒に来れば?」
「そっちはもっと面倒だ」
「やっぱそうよねぇ……カヴィアスはぐうたらした生活が好きなんだもんね」
「ああ、お前はその正反対だもんな。こんな村を出てって旅するなんて俺には考えられん」
カヴィアスは食べ終わった自分の分の食器を一つに重ね、台所に持って行き、床においていたまだ綺麗な水の張った桶に木製の食器をつけた。途端に桶の水は食器の汚れを吸い取り澱んでいった。
カヴィアスはその澱んだ水を見て思った。こんな風に毎日、何不自由なく水を使えるのは村の側に川という水源があったからだ。今食べた肉や野菜も、近くにいる動物や山菜、そして栽培している作物と、豊かな自然に囲まれたこの村だから大した苦労もなく物を食べる事が出来る。しかし旅に出れば毎日確実に飯にありつける保証は無い。逆に命の危険に晒される事も多々あるだろう。外の世界の事など殆ど知らないカヴィアスだったが、旅という行為がどれ程危険なものかは何となくではあるが分かっていた。
「どうしたのカヴィアス、台所で突っ立ってたりしてさ」
後ろから聞こえたアミリアの声に、カヴィアスはふと返した。
「お前、本当に行く気か?死ぬかもしれないんだぞ?」
「ん?今頃心配してくれんの?」
「いや、聞きたいだけだ」
カヴィアスのこの台詞は半分正解だった。確かに心配もした、だがそれ以上に、何故そこまでして旅に出たいのかが聞きたかった。退屈だからなんて暗愚な動機で旅に出るなんてことは、彼には考えられないことだったからだ。
「そう……か……」
カヴィアスのその真意を知ってか、アミリアの声色は真剣なものに変わっていた。
「私さ、知りたいんだ。色んな事をさ」
「色んな事、ねぇ……」
カヴィアスは、アミリアの言葉の真意が分からなかった。
「本とか人伝いの話から得られるものってたかが知れてる。それじゃあ伝わらない色んな事を、私は知りたいの」
アミリアのその言葉はとても力強いものだった。それはまるで彼女の強い決意がそのまま空気を振るわせているようだった。
その強い決意を聞いたカヴィアスは、ある一つの事が思い浮かんだ。何一つ情報のない両親の事である。
「……お前、俺達の両親とやらを探す為に……」
「まぁ、それもあるかな。だけどさ、もう顔も見せない両親なんてもうどうでもいいよ。私はさ、色んなものを見たいし、色んな人に会いたいし、色んな事を知りたい。世界の隅々まで行って、この世界を知り尽くしたいの」
まるで子供の語る夢のようだ。カヴィアスはそう思い、思わず笑ってしまった。
「カヴィアスにとっては可笑しい話でしょうね」
不機嫌そうに言ったアミリアだったが、そう言い終わった直後に彼女も含み笑いをしていた。
「しっかし、それじゃあとても一年じゃ無理だなぁ。お前の旅はよ」
「そうね〜。でも一年以上あけてると、きっとカヴィアスが寂しがると思ってね」
「寂しがる?ハッ、逆だ逆。面倒一人いなくなってセィセィするぜ」
「ったく、明日旅立つ可愛い妹を面倒扱いするなよな」
後ろから聞こえるアミリアの言葉に、カヴィアスはまたクスリと笑ってしまった。ふと桶の方に目を遣れば、張られた水は油でかなり澱んでいた。
「洗い物、私がしてあげようか」
そう言ってアミリアはカヴィアスのすぐ隣まで来た。袖は既にまくっていて、手には食器洗い用のブラシまで握られていた。
「いや、いい。俺が洗うよ。お前はもう寝ろ。明日、早いんだろ?」
カヴィアスはそう言ってアミリアからブラシをとり、袖をまくり、側にあった水の張ったもう一つの桶を引き寄せ、食器を洗い始めた。
「分かったよカヴィアス、私もう寝るね」
アミリアはそう言い、台所から出て行こうとした。と、その時だった。突如何かが粉々に弾け飛ぶような轟音が鳴り響き、同時に、家全体が激しくシェイクされたような振動が2人を襲った。
「な!何!?」
カヴィアスはブラシと食器を投げ捨てて立ち上がり、台所の窓を見た。窓から見える景色は一見平穏のようだったが、微かに左側、南の方にほんのり赤い光があった。と、窓を確認した次の瞬間、アミリアが窓に駆け寄り、窓の外に身を乗り出した。そして彼女は驚いて叫んだ
「も、門が燃えてる!」
「なっ!何!?燃えてるだと!?」
それは唐突で不可解な出来事だった。何故門が燃えているのか。さっきの轟音は爆音だったのだろうか。だが今は星空が綺麗に見える快晴だ。雷なんて落ちる筈も無い……。常人でも計り知れない事なのにカヴィアスの乏しい知識では答えも出るはずがなかった。
「ああっ!」
またアミリアが叫んだ。その声は心底驚いていた。
「どうしたんだ!?」
アミリアの驚いた声にカヴィアスも不安を抱く。
「火が、火柱が!物凄い火柱が昇ってる!」
「何だと?ちょっと見せろ!」
カヴィアスはアミリアをどけて窓の外に身を乗り出した。2人揃って身を乗り出せる程のスペースは無かったからだ。
外を見たカヴィアスは目を疑った。先にこの光景を見たアミリアは 「門が燃えてる」と言っていたが、カヴィアスが見たときには既に門など全く見えず、巨大な火柱が立ち昇っていた。そしてその火柱から無数の火の帯が伸び、地に落ちた所から次々と火の手が上がる。明らかに自然な火事ではなかった。
「こいつは面倒な……」
カヴィアスがそう呟いた直後だった。彼の後ろから水が勢い良く落ちる音が聞こえた。驚いて後ろを振り向くと、アミリアが澄んだ方の桶の水を被っていたのだ。
「な、何してるんだお前」
「決まってんじゃない、逃げるのよ!アンタだけここに残る気!?」
アミリアの怒鳴り声が聞こえたと同時に、カヴィアスは後ろから水をかけられた。もう1つ、使用済みの水をかけられたのだ。更にまだ洗えてない食器が体中に当たり、カヴィアスはよろけ、足下がふらついた。
「ほら、これで少しは大丈夫だから」
「……大丈夫、ねぇ」
カヴィアスはそう呟いて足元を見た。ぬれた床にはカヴィアスを痛めつけた食器が転がっていて、その中には金属製のフォークとナイフもあった。体に刺さらなくて良かったと、カヴィアスは場違いな安堵感を覚えると同時に、汚い水をかけられたというこれまた場違いな怒りを覚えてしまった。
「何してんの!早く出てくよ!」
「あ、ああ……」
アミリアは既に旅に持っていく荷物を持っていた。その姿を見たカヴィアスはまたこの場には似つかわしくない苦笑を浮かべてしまった。
2人は急いで家から飛び出し、一心不乱に火から逃げ出した。一番近い出口の南門が燃えてしまったのだから、彼等が逃げる場所は中央の広場か東門、または一番遠い北門だった。東門に逃げるのが一番の得策だとカヴィアスは思ったが、アミリアはまず中央広場に寄ると言って聞かなかった。ここで妹と別れて行動するのも良かったが、後で大きな後悔の種になるであろうと思い、妹と一緒に中央広場に行った。
しかし何処も彼処も燃えてやがる。一体どうなってんだよお前等はよ?と、何処に行ってもいつも周囲で燃えさかる炎に、カヴィアスは心の中で怒鳴った。小さい村だとはいえ、たった一回の火事で焼き尽くされるなんて夢にも思わなかった。それともこれも火事というのか?今まで一度も遭ったことのないシチュエーションに混乱しながら、カヴィアスは無駄に今回の火事について色々考察した。しかし燃えさかる炎が周りにある環境下で、全速力で走りながら物事など考えられず、自然とその頭から思考は消え去った。
「はぁ……はぁ……つ、着いた……」
中央広場についたカヴィアスは、疲労に耐えられなくなり膝を着き、跪くように地面に伏した。心臓は忙しなく鼓動し、肺は無理をしてまで大量の空気を欲していた。胸の内を掻きむしりたくなるような感覚の所為で何度も咳をし、喉まで痛くなるが、それでも呼吸は荒くなる一方だった。脇腹にはまるで筋肉が締め付けられるかのような痛みが走り、そしては脚は節々が痛むと同時に、脚自体が鉛のように重く感じられ全く動かすことが出来なかった。本当に自分の脚かと疑ってしまう程の違和感すら感じられた。
中央広場全体ははっきりと見ていなかったが、取り敢えず燃えてはいなかった。自分の目の前にある芝がそれを証明していた。
「何してんのカヴィアス。さっさと立って。あそこに皆が沢山集まってるから、いくわよ」
何言ってんだよお前。俺疲れてるんだよ見てわかんねぇのか?っていうか何でお前ピンピンしてんだよ本当にお前俺と兄妹かよってうか人間かよ。等と色々隣に立つ自称妹に問いかけたかったが声すら出ず、行けないという意思表示の為に首を横に振るしかなかった。 「仕方ないわね。でもすぐに逃げるかも知れないから。燃えたくなかったらすぐに来るのよ。分かった?」
妹は疲れて声も出ない兄貴に呆れていた。しょうがないだろ、俺の体力はこの程度さ。と言い訳したかったが声も出ず、しょうがないので首を縦に振った。アミリアは走り去った。草を踏む足音が短いペースで連続で聞こえ、それはすぐに聞こえなく無くなっていく。何て速ぇ。あれだけ走ってまだ走れるのか。何かもう全然俺より凄ぇなぁ……とカヴィアスは心の中で思い、そしてその後すぐに愕然とした。此程まで妹と差が付いているとは今まで思わなかったからだ。いや、今まで気付いていたかも知れないが、考えたこともなかったのだろう。あるいは触れたくなかったか。しかし今、その事実を自分ではっきりと認めてしまったカヴィアスは、今まで感じたことのない程の無力感を覚えた。
「はぁ……はぁ……畜生……ちく……ょぅ」
カヴィアスは仰向けに転がった。まだ脚は余所者。まともに動こうとはしない。もう自分の脚は動きたくないと言っているのだ。
首を上に向けて妹の姿を見れば、妹は逃げ延びた皆と何か話し込んでいる。逆さに移ったアミリアの顔は笑っていた。どれだけ目をこらしても疲れなど全く見せていない。その顔は綺麗に整っていた。大体兄妹2人顔つきがよく似てると言われていたが、カヴィアスにはとてもそうとは思えなかった。そうであればアミリアは異性に人気があるのに対し、カヴィアスは全くといって良い程人気が無いのはおかしいと思っていたからだ。それともそれ以外の外見か内面が、アミリアに比べて圧倒的に劣っていると言うことだろうが、それは認めたくなかった。認めれば、自分は妹に何一つ勝つことの出来ない愚兄であると認めることになる。それだけは嫌だった。だから妹が旅立つと知ってからは、兄貴のように振る舞ってみたり妹の分まで仕事をしたりと、いつもは面倒と言って絶対にしなかった事をやって来たのだ。これから旅立つアミリアに、カヴィアスはどうしようも無い愚兄だったという感想を残させない為に。
だがそれも徒労だ。只の面倒に終わってしまった。アミリアにとってカヴィアスは肝心なときに何も役に立たない愚兄として記憶されるか、もしくは彼女自身の汚点として兄妹という事実を一方的に抹消されるかのどちらかだ。カヴィアスの思考は急速に暗く悲しい推測を湯水のように湧き起こし、そしてその心は深い奈落へ沈んでいくように黒く塗りつぶされていく。もう彼はもう絶望する以外に何も考えることは出来なかった。
しかしその闇もすぐに払われた。カヴィアスの目が、逆さに落ちてくる火の帯を捉えたのだ。カヴィアスはギョッとし、すぐさま飛び起きた。ついさっきまで言うことを聞かなかった脚が、まるで嘘のように機敏に反応してくれた。が、それまでだった。カヴィアスは立ち上がると同時に叫ぼうとしたが、声が出る前に火の帯は地面に激突し、爆炎を巻き上げた。
「アミリィッ!!」
火の帯が激突した瞬間に発生した爆風は、まるで高熱を持った見えない壁が高速で駆け抜けるようだった。姿のない壁に激突したカヴィアスは台詞の途中を中断させられ、そのまま吹っ飛んでまた仰向けにひっくり返った。その時後頭部を打ったが、彼は痛みを感じなかった。感じる余裕もなかったのだ。何故なら、彼は火の帯が人の群に落ちる光景を目の当たりにしたからだ。当然、その中には妹もいた。
カヴィアスはもう一度起きあがり、火の帯の落ちたところを見た。さっきまで人が集まっていたその場所は、不可解な程燃え上がる炎にのまれていた。勿論人影はいない。その周囲も、自分の周りも、当然炎の中も。
カヴィアスは火の帯の落ちた場所を呆然と見つめた。中央で団結していた皆が一斉に死に、そこから離れて倒れていた自分だけが助かった。という事実は、彼には何かの皮肉にしか感じられなかった。
「何でこんな事に……」
カヴィアスはそう呟いた。何かの皮肉は結果的にカヴィアスの心を強く打ちのめした。自分の目の前で妹含む大勢の村人が一斉に死んだ。中にはそこそこ親しい者もいた。顔なじみは沢山いた。世話になったおじさんもいた。しかし全員死んだ。何故だ?あんなに死ぬ必要はあったのか?そもそも何故この村がこんな火事に焼き付くされなきゃ行けないんだ?細々と暮らしていた俺達が何をした?巫山戯るな。返せ!村を!皆を!妹を!俺の暮らしを!返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ!
「うあああああぁあぁあぁあああぁぁああぁぁあああぁぁあああぁぁあぁぁあっ!」
カヴィアスの心はショックが醒めると同時に怒りに染まっていき、彼は喉が潰れる程大きく、長い叫びを天に向かって上げた。そうでもしないと急速で増え続ける遣り場のない怒りに、心が押し潰され、壊れてしまうからだ。
「そんなに悲しいか?」
カヴィアスは突然響いてきた声を聞いた途端、ぴたりと叫ぶのを止め、その声のした方に振り向いた。そこは炎が燃えさかる火の帯が落ちた場所だった。それは当然あり得ないことだった。それ以前に、自分の周囲に人が全くいないのに、声が聞こえるはずがない。100歩譲って人がいたとして、どうしてあれ程落ち着いた台詞が吐けるだろうか。村人だとすれば今まで自分たちが住んできた村だ。冷静でいられるはずがない。放火魔だとすれば語りかける必要すらない。いずれにせよ、その声の主等いるはずはない。カヴィアスは声を幻聴だと断定した。
その刹那だった。燃えさかる炎の中から陽炎のように揺らめく人型の影が見えた。その影を見た瞬間カヴィアスはギョッとした。幻聴の筈の声の主に思えたからだ。しかしそうとは限らない。カヴィアスは昔、燃える死体は起きあがるという話を聞いたことがあった。カヴィアスはそれのことだと勝手に結論づけた。
しかしそれもすぐに否定される。それは二本の脚で、カヴィアスの方にゆっくりと歩いて向かってきていたからだ。熱による皮膚の収縮だけで、死体が歩く筈がない。だとすれば幻覚か?遂に自分は狂ったか?カヴィアスはそう思ったがそのすぐ後に否定した。自分が狂っていると自覚できる狂人等いない。そう思っていたからだ。
炎の中で揺らめいていた人型の影は、遂に炎の中から抜け出した。はっきりと姿を現したそれは、真紅の装甲に身を包んだ人型であったが、それは奇妙な物体だった。
まずバランスがおかしかった。体全体のバランスは頭含む胴体が大体3で脚が7の割合に見えた。そして腕も異様に長く、普通に直立でぶら下げているにも関わらず、大きなかぎ爪が膝下を通り越しており、肘は腰下にあった。体全体を装甲で覆っている為、鎧を着ていると考えられるが、そうは見えなかった。鎧を着ているにしてはそれは細かったのだ。カヴィアスは昔、防具を揃えた商人を見たが、全身を覆う鎧であれだけスマートな鎧は無い。有るとすればそれは只の飾りであり、実戦では何の役に立たないであろう。それ以前に、それの脚は異様に細く、装甲を取れば中には骨しかないのではと思う程だった。
周囲の炎に照らされ、人型の装甲は一層その真紅の色を輝かせる。まるで鮮血を浴びたか、又は燃えさかる炎のような色だ。心なしか頭部に4つ、光点が見えた。
声は尚も聞こえた。やはり声の主は奇妙な姿の人型なのだと、カヴィアスは確信した。
「この巣が燃えることが、そんなに悲しいか」
人型が近づくに連れ、カヴィアスの人型に対する印象が少し印象が変わった。体格からすれば腕が逞しいだけの貧相な体かと思ったが、実際近づいて見ればその人型は自分より遙かに大きかったのだ。カヴィアスの身長は175cmあったが、それより遙かに大きかった。村で一番大きかった男は190cm位だったが、それよりも大きかった。2mは有るのではないか?そう思えた。そして余計に人ではないと確信した。只、辛うじて人型というその体型のお陰で、それが人語を解し語りかける事を、カヴィアスは認めることが出来た。これが蟲のような人からかけ離れすぎた生物だったら、カヴィアスは最後までそれが語りかけてくるとは認めなかっただろう。頭部がフルフェイスで顔面が隠れていた事も、カヴィアスにとっては幸いだった。人外の顔等見たくもなかったからだ。但しそのマスクが醜悪なデザインで、まるで骨だけの鳥の頭部のような兜と合わさり、直視したくない顔なのには変わりなかった。
その辛うじて人らしいそれは、カヴィアスに語りかけた。その外見と、無機質で無感情ながら畏怖すら感じさせる高圧的な声は、カヴィアスはその声を聞くだけで体が震えてしまった。
「それも当然だろう。自分の住処が、今までの思い出と共に燃え尽きたのだ。今は存分に悲しめ」
台詞の内容からすれば、それはカヴィアスの心境を理解した同情の声にも聞こえるが、やはりカヴィアスには同情の声には聞こえなかった。カヴィアスは只迫り来る人型に恐怖し、硬直するだけだった。
「そしてその哀しみと共に、今までの過去を捨てろ。燃えてしまった古巣など捨て、羽ばたく時が来たのだ」
「捨てろだと?」
赤い人型の、自分の住んでいた村をゴミ同然に扱うような言葉にカヴィアスは怒りを覚えた。そしてそれはそれまでの赤い者に対する恐怖と入れ替わるように心を染めていった。
「簡単に言ってくれるじゃないかおい。捨てろだの羽ばたけだの。ンな事がおいそれと出来る訳無いだろ!それにな!俺は外の世界なんてどうでも良いんだ!ここで暮らせて行けたらそれで良かったんだ!」
「出来ぬ事は無い。寧ろあんな古巣で永久に暮らす方が、貴様にとって不可能な事」
「何訳の分かんないこと言ってんだ!テメェに俺の何が分かる!?」
「貴様の事は既に分かっている。だから行ったのだ。これ以上、貴様が無様に古巣で雛の如く振る舞っていたのが、不憫でならなかったからな」
その台詞を聞いた途端、カヴィアスは一瞬頭が真っ白になった。一瞬激しい怒りがさっと退き、空虚になった心の中で何度も赤い者の台詞が木霊する。その台詞の意味はたった一つしか無かった。
「まさか……村を燃やしたのは、お前か?」
カヴィアスは震えた声で言った。赤い者は答えた。
「そうだ。我がやった」
赤い者の台詞が頭の中に届いた瞬間、一度退いた怒りが、更に規模を増して心の中に押し寄せた。それはその他の一切の感情や思考を飲み込み、彼の心を壊しそうな程、激しいものだった。
「お前かぁあぁあぁぁあっ!お前が燃やしたのかぁぁっ!この面倒がぁぁぁぁああああぁぁぁぁっ!!」
カヴィアスは激しい怒りをむき出しにし、叫びながら赤い者に殴りかかった。
「お前がッ!お前がぁぁッ!!うあぁああああっ!」
カヴィアスは吼えながら何度も赤い者を殴った。殴る時の手の痛みも激しい怒りの前には無き物に等しく、段々と紫色に変色していく自分の掌を、何度も赤い者にぶつけた。が、カヴィアスが自分の拳を壊してでも殴り続けたにも関わらず、赤い者は微動だにしなかった。全く反応を見せない目の前の仇に、カヴィアスは無力感を感じてしまい、手も止まって崩れ落ちた。
「畜生……返せよ……俺の……俺の……」
カヴィアスは涙を流しながら、訴えるように呟いた。
「今はこんなものよ」
地に伏せたカヴィアスに、赤い者はその様な言葉を投げかけた。それはカヴィアスにとっては屈辱的な言葉でしかなかった。だが、もう手が動かない。
と、その時だった。カヴィアスは頭を赤い者に捕まれ、持ち上げられた。側で見た赤い者の顔は見れば見る程恐ろしい顔だった。それがマスクだと知っていても、髑髏を思わせるその形や、その奥にある人の物とは思えない恐ろしい眼光が、カヴィアスを震え上がらせた。
「我が目を見ろ」
赤い者はそう言い、カヴィアスの顔面をより自分に近づけた。赤い者の白く光る眼はカヴィアスを食い入るように見つめていた。まるで見ている自分が焼き殺されてしまうような、そんな錯覚を覚えてしまう程だった。
「我が声を聞け。我を覚えろ。我は貴様の仇だ。貴様の今までの全てを奪った憎き仇だ。ぞんぶんに憎め。そしてその才を目覚めさせ、力を付けて我の元に来い。我を壊す為に」
赤い者はその台詞は、カヴィアスの脳内に響き渡り、激しく揺さぶった。そして、ようやく揺れた脳が収まったかと思ったら、今度は赤い者の掌が急速に熱くなり、そして彼の意識は飛んだ。
カヴィアスが目を開いた時、目の前には青空が広がっていた。雲一つ無い晴天。ここでは珍しくない良い空だ。
目を覚ました瞬間、自分が生きているかどうか不安になったカヴィアスだったが、目覚めてすぐに匂ってきた悪臭と、手と顔に感じる苦痛で、自分は生きていると確信した。苦痛を感じられる事が嬉しかった事は今まで一度も無かった。だが同時に辛くなった。これからどうやって生きればいいのか?自分には村人の1人として生きることしか出来ない人間だ。どうやって生き延びて、力を付けて、あの憎き仇を討てるだろうか?もしかしたらこのまま餓えるだけで終わってしまうかも知れない。そう考えていく内、カヴィアスは惨めになり、悲しくなった。
カヴィアスは自分の他に村人が生きているかと考えたが、すぐにそれを止めた。あのとき村は、赤い者の仕業により隅々に渡って燃え広がっていたのだ。生存者がいるかも考え辛い。大体生存者がいた所で自分のその後が大きく変わるとは考えにくかった。今までの物を全部失ったのは生き残った者全てに当てはまるからだ。
自分一人でどうやって生きて行けようか?あの赤い者はこうやって途方に暮れている自分を見て嗤っているのではないだろうか。カヴィアスはそう考えると怒りを覚えたが、所詮はやるせない感情。すぐに空しくなり、それが悲しみへと変わるのはあまりに速かった。 こんな人生の終わり方をするとは思わなかった。カヴィアスはそう思い、涙を流した。と、その時だった。自分のすぐ近くで人の叫び声が聞こえた。まるで喉が枯れた男が、精一杯声を出しているかのような声だった。カヴィアスは驚いて飛び起き、その声がした方に目をやった。しかし其処には人はいなかった。いたのは最近見かけるようになった黒い鳥だった。それも1羽や2羽ではない。10羽近い数が、自分の周りを取り囲んでいたのだ。が、起きあがって暫くすると、その殆どが飛び去っていった。
あの黒い鳥は何が目的だったのかと一瞬考えたが、すぐに止めた。何となくその鳥たちが何をする為にここに来たのか分かった気がしたからだ。カヴィアスは自分の体が綺麗に残っている事に改めて感謝した。
そして改めて周りを見て、あの夜の火事が凄惨な物だったと思い知らされた。あれ程長閑で穏やかな外観の村が、たった一度の火事で見渡す限り黒一色という、焦土ばかりとなってしまった。特に火の帯の落ちた場所は、地面が深く抉れていた。激突の衝撃が地面を掘ったのだろう。それ程の衝撃を目の当たりにしたアミリア達は、恐らく骨も残っていないだろう。体を焼かれる苦痛を感じることなく死ねたのは、ある意味幸福かも知れない。カヴィアスはそう思った。
カヴィアスは軽く見渡したが死体は破片すら無かった。仮にあったとしてもそれは真っ黒な炭になっているだろうから、焦土の中から見つける事など困難だ。第一、カヴィアスは人の死体なんか見たくもなかった。それが例え妹の物であっても。
その焦げ後見てカヴィアスは赤い者の言葉を思い出した。 「ぞんぶんに憎め。そして我が元へ来い。我を壊す為に」何が目的かは知らないが、赤い者が残した結果は許せない物だった。彼の大切なもの全てが、何の価値もない焦土に変わってしまった事。この事実は恨みとしてカヴィアスの心の奥底に刻まれていた。刻まれた恨みを晴らすにはただ一つしか無い。
絶対に殺してやる。殺してくれって懇願するまで徹底的にいたぶって、俺の全てを焼いたことを後悔させて、俺の前に跪かせた後に、惨めに殺してやる!カヴィアスはそう、心の中で決心した。その深く黒い決心が固まった瞬間、カヴィアスの心は何となく元気になった。人間、目標が出来ると頑張れるものだ。
と、そんなカヴィアスの耳に、再び喉を枯らした男の叫び声が聞こえた。またその声のした方を見ると、其処には1羽の黒い鳥がいた。その黒い鳥は仲間が去ったというのに、じっとカヴィアスを見ていた。まるでカヴィアスという人間に興味を持ったかのようだった。
暫くするとその鳥も飛び上がった。しかし他の鳥のようにすぐには去ろうとせず、一旦カヴィアスの上空で弧を描き、そして彼から離れていった。その鳥の飛んでいった所は、あの火柱が上がった場所である南門があった場所だ。
「は……面倒だが行くしかないか」
これ以上この焦げた匂いの漂う焼け跡にいても仕方無いと心の中で強く言い、カヴィアスは立ち上がった。
「じゃあな」
カヴィアスは自分の近くにあった、炎上の焦土に向かって別れの言葉を吐いた。それは旅立ちを夢見ながら、夢叶うことなく燃え尽きた妹へ送ったものだった。
4月2日 アラム島 クラハムシティ
村襲撃から3日経ちその昼頃、カヴィアスは海辺の都市『クラハムシティ』に着いていた。クラハムシティは、カヴィアスの住んでいた村から一番近い都市であったが、ろくな装備1つも無いカヴィアスが1人で歩いて来られる距離では無かった。旅路の途中で親切な旅人と出会わなかったら、彼は間違いなく野垂れ死んでいたであろう。
その旅人は、この島より北にある小さな島国の人間と自称していた。一枚の布を巻き付けるように着る衣服や腰に差した片刃刀は、その国の文化の1つだと旅人は言い、そのついでに、彼はカヴィアスに故郷の話や自分の旅の目的の話をカヴィアスに聞かせた。正直カヴィアスにとってはあまり興味のない話であった。その一方、カヴィアスはあまり自分の事は語らなかった。語ったのは自分の名前のみで、それ以外、特に過去の話は 「訳あって村を出て行かなくちゃ行けなくなった」とだけで済ませ、多くは語らなかった。カヴィアス自身彼とあまり長く付き合う気がなかったからだ。
クラハムシティに足を踏み入れたカヴィアスは、初めて見る光景に圧倒された。人の数にまず圧倒されたが、それより強く印象に残ったのが、街の光景だった。見渡す限りにそびえ立つ石柱群は、まるで大きな谷間に入り込んでしまったかのような閉鎖的な風景であった。あと妙に生臭い感じの風がカヴィアスの鼻と喉を刺激した。森の奥の村とは何もかもが違う。カヴィアスはその違いに唖然とし、妹が旅に出たがっていた理由も分かった気がした。
「クラハムシティはオスリアでも有数の港都市だ。ここの魚がまた上手いんだ」
オスリア。この名前を持つ意味は複数有るが、旅人の言うオスリアはただ1つ、オスリア連邦の事だった。オスリア共和国を始めとする、全37カ国の中小国の複合国家組織で、カヴィアス達の住んでいた村もオスリア連邦の領地内で、即ちカヴィアス達は一応、オスリア連邦国民なのだ。
「すんませんが、目廻りそうなんですわ」
カヴィアスは旅人に不調を訴えた。村とは比べものにならない程人が賑わい、建造物が建ち並ぶ都会は、カヴィアスに過剰な圧迫感を与えていたのだ。
「ん?御主、都会に慣れてないのか?」
「今まで村の外に出るなんて面倒な事はしなかったんスよ」
「……そうか。なら近くの店で休もうか。今後の事も話し合いたいし」
旅人は暫く言葉を詰まらせた後に言い、カヴィアスを連れて近くのカフェに向かった。
カフェの中は見慣れた木造風のインテリアで、人もそれなりに多い程度だった。カヴィアスは席に座ると、出された水を一気飲みした。
「そう言えばまだ昼飯を食べておらんな。丁度良いからここで済ませようか」
向かいに座った旅人は、メニューを見ていた。
「流石クラハムなだけあって海の幸ばかりだ。御主はシーフードは食べられるか?」
「まぁ魚は食べれます。ああ、それから俺のメニューもついでに決めて下さい。俺分かんないスから。料理とか」
面倒な作業は連れに任せ、カヴィアスは店の風景を眺めていた。この風景は村にもあったから、初めて見るものではなかった。が、やはり随所が違うと見慣れない光景にしか見えず、どうも落ち着かなかった。人々の姿、数、雰囲気、匂い、その他諸々の全てが、村とは全然違うのだ。その要素全てが、自分を拒絶しているように思え、次第にカヴィアスは寂しくなり、そして悲しくなっていった。そして、もしかしたら俺は一生何処にも住む事も出来ないまま野垂れ死ぬのではないか?という悲観的な考えから生まれた近い将来自分が野垂れ死ぬ姿が脳内で再生されていき、彼は絶望していった。
「おい。どうした?大丈夫か?」
そんなカヴィアスの耳に、旅人の声が急に飛び込んできた。その瞬間、絶望の淵にいたカヴィアスは声に引っ張られ、瞬間的に我に返った。
「あれ?飯?飯来……」
「飯なら明後日見ながらもキチンと食べていたぞ」
「そう……だったか、な?」
「そうだった。某は初めて見たぞ、あんな放心状態でバクバク食べる人間を見たのは」
旅人の台詞は感嘆しているように聞こえたが、そうでない事は未だ虚ろなカヴィアスの脳でも分かった。目の前にある空の食器と、いつの間にか満たされた腹が、自分は食事をしていたという確かな証明となった。しかし食べた料理の味は覚えていない。カヴィアスは損した気分になった。
「ところで御主、これからどうするつもりだ?」
「どうする?」
旅人の突然の質問に、カヴィアスは間抜けに聞き返してしまった。
「これからの事だ。何も装備も無しにぶらぶらしていた御主だ。まさか旅の途中だった訳ではあるまい。突発的なものだったのだろう。もうその事については問わないが、問題はこれからだ。御主はどうやって生きていくつもりだ?」
「これから……スか?」
カヴィアスの脳裏に、ふと野垂れ死ぬ自分の惨めな未来像が再生された。そんな未来は望んではいない。
「そうスね。取り敢えずここに住みますかね」
「そうか……まぁ、小さな村とかよりは移り住み易いだろう。が」
「分かってますよ。都会での一人暮らしも面倒だって事くらい」
カヴィアスは旅人の台詞を遮って言った。 「面倒」確かにカヴィアスにとって、これからの暮らしは 「面倒」この上ない事だった。今まで農作業と家事程度しか働かなかった男が、1人で都会の中で生きようなんて言い出すからだ。いわば何の変哲もない子連れの家族が、ピクニック気分で未開の土地に踏み込む様なものだ。しかしそれでも、旅や他の村に移り住むよりは、現実的な考えだった。
それもこれもあの赤い者の仕業だ。カヴィアスは村を燃やした仇を思い出し、再び心中に憎悪の炎を燃やした。しかしその仇を自力で討つのは夢物語だと、カヴィアスは思っていた。まるで意志があるように動き、村を飲み込んでいく炎と、赤い者の姿を思い返せば、人間である自分は絶対に無力だと感じさせられたからだ。それでも、カヴィアスはあの仇を討ちたかった。死にゆき、泣きすがる赤い者を、嘲笑いながら足蹴にしたかった。
「どうした?そんな恐ろしい顔をして」
「あぁ。ちょっと殺したい奴を思い出しまして……」
「殺したい奴……それはお前が村を出ざるを得なくなった原因か?」
「そうスね」
「仇討ちや仕返しなんて止めておけ。やっても自分の人生を深くねじ曲げるだけだぞ」
「確かにそうスけどね……」
カヴィアスは理解したかのように重たい口調で言った。しかし心には留めなかった。聞き飽きた良識等、カヴィアスの心には全く響かなかったからだ。旅人もそのことが分かっていたのか、その表情は険しかった。
「それに、今は仇討ちより今後の暮らしを考える方が大切だ」
「……そうッスね」
旅人の言葉で、カヴィアスは一気に目の前の現実に引き戻された。今のカヴィアスにとって大切なのは仇討ちでは無く目の前の生活を安定させることだ。
カヴィアスの眼前にあった現実の壁が、3日前に強く決心した黒い決心を砕き、叩き落し、心の深層へ押さえ込んでいた。
「そう不安がるな。家と職探しは某も……」
「それなら私に任せてくれませんか?」
突然横から声が割り込んできた。その声は男の様で、艶やかで落ち着いた感じの声色だった。
そしてその声のした方に振り向いたカヴィアスはその声の主の姿に驚いた。兎に角背が高い。赤い奴に匹敵する程である。手足も長いように見えたが、流石に赤い奴程ではなく、人間の身体的バランスで納得できる程度だった。序でに髪も長く、まっすぐに降ろした蒼い長髪は男の膝下まで伸びていた。兎に角大きかった男だったが体型は少々華奢で、顔つきも中世的で端正だった。着ている服は長袖のシャツと厚く硬い生地のズボンで、両方とも深い青色だった。赤い者とは正反対の青い男であった。
「すまぬが、御主は?」
「私ですか?何、名乗る程でも有りません。ただ其処の青年が不憫に見えたから助けたくなりまして」
「俺……すか?」
「そうですよ」
青い男はそう言って微笑んだ。その笑顔は屈託もなく優しげな笑顔だったが、カヴィアスはその男に何か恐ろしいもの感じていた。その男には赤い者に通じる何かがあると感じたからだ。だがそれが何かは、カヴィアス自身も分からなかった。
「聞けば君は明日の身すら危うい浮浪者。まだ職すら見つかっていないのでしょう。そして深い訳があると……そうですね?」
カヴィアスは黙って頷いた。
「なら丁度良い仕事が有りますが……」
「待て」
男は笑みを崩さずに話を進めたが、その途中旅人が男の話を遮った。
「御主には只ならぬ気を感じる。何しに来た?」
旅人の形相は今までになく凄まじく、今に人を殺しそうな様子であった。3日間一緒に旅をした優しい旅人とはあまりに違う苛烈な一面に、カヴィアスはぞっとした。
「いえ、だから職の勧誘ですよ。この青年に最適な職をね」
反面、男は全く表情を変えずに言った。何故そうも笑っていられるんだ?とカヴィアスはその男に不気味に思った。
「その職とは何だ?」
旅人の殺気がまた増した。端から見ているカヴィアスでさえ、その凄まじさに圧迫感を覚えた程だ。だがその殺気を一心に受けている筈の青い男は、顔色一つ変えなかった。
「マルスの傭兵ですよ」
「マルスの傭兵だと!?」
旅人の怒鳴り声は店全体に響き渡った。店の中にいる人間全員が、旅人と男を見た。静まりかえる店内の空気が、一層その場の空気を重くした。勘弁してくれ。カヴィアスは溜息をつこうとし、その息を飲み込んだ。溜息が出来る雰囲気じゃなかったからだ。
「それの何処が丁度良い職だ?最も過酷で薄汚い仕事ではないか!」
旅人は怒りのあまり机を叩いて立ち上がった。カヴィアスは自分の話なのに割入る事も出来ず、傍観するしかなかった。
「確かに過酷で薄汚い仕事でありましょう。しかしこの仕事こそ、青年の欲求を満たすに相応しいと思うのですが」
「相応しいだと?」
「ええ。素晴らしい傭兵の下で力をつければ、明日の生活も、達成しがたい目的も、易々と達成できるでしょう」
「力をつけられればの話だろう。しかし実際に、この青年がマルスで成功できると誰が言える?」
「……貴方。個人的感傷で反対してませんか?マルスの傭兵が薄汚い集団だと思っているから」
旅人は言葉を詰まらせた。その隙を見た青い男は、カヴィアスの顔を見て言った。
「貴方はどうです?マルスの傭兵になる気はありませんか?」
「は?」
これまで傍観していた自分に突然話を振られ、カヴィアスは間抜けな声を上げた。
カヴィアスは男の質問にすぐには答えられなかった。マルスの傭兵がどんなものか知らなかったからだ。無論全くでは無い。傭兵という兵種は知っていた。以前村に傭兵の団体が立ち寄った事があり、その時に傭兵という職業を知ったのだ。
ただ金目的で戦う兵。そんな傭兵を、カヴィアスはさほど良いものだとは思っていなかった。寧ろ軽蔑すらできた。だがカヴィアスはそんな傭兵に自由があると思い、それにある種の憧れも抱いていた。
しかし憧れや軽蔑以前に、カヴィアスは危険な仕事はしたくなかった。どれだけかっこいい仕事だろうと、生死が関わるなら話は別だ。
「すんませんけど俺は……」
「村、燃やされたんですよね」
青い男の言葉に、カヴィアスは言葉を飲み込んだ。青い男の顔からはさっきまでの笑みは消えており、変わりにカヴィアスを同情する表情に変わっていた。
「な……なんでそれを?」
「いえ、ちょっと君の住んでいた村に立ち寄ったのだけれども。まさに凄惨でしたね」
凄惨。まさにそうだった。カヴィアスの脳裏に村の焼け跡が映し出された。まさに黒一色。瓦礫ひとつすら存在しない焦土。地面の凹凸も近づいて見なくては分からない。遠くから見れば、僅かに蠢く闇のようでもあった。
「まさか、御主の言っていた敵とは、御主の村を燃やしたというのか?」
旅人が遅れて話しに入ってくる。彼はこの話に心底驚いていた。当然だろう。てっきり彼は追放された身だと思っていて、真相はそれを遥かに超える悲惨な話だったからだ。
「そうスよ。まるで生き物のように炎を操って、あっという間に村はボーン。笑えるッスよね。まさかあんな簡単に燃えるとはね」
カヴィアスはうねる炎や爆発を手真似しながら説明し、その後に苦笑した。
考えるだけでも色々と負の感情が沸き上がる3日前の出来事だったが、いざ口にしてみるとそれとは比べ物にならないほど激しい負の感情の激流が巻き起こった。あまりに激しいものだったので、つい耐え切れず涙が流れてしまう程だった。思わずカヴィアスは顔を押さえて下を向いた。
そんなカヴィアスの肩を優しく叩いたのは青い男だった。
「しかし貴方は生きている。なら、彼らに捧ぐものがあるのではないのですか?」
「捧ぐもの……」
カヴィアスは青い男の言葉を反芻するように呟き、そして次第に心の底に沈んだ黒い決心が、更に強さを増しながら再度浮上する。
「ここでの生活は、死んだものの供養にはなりません。彼らの無念を晴らす最良の方法は、マルスへ行って傭兵となり、その力を開花させることです」
言われるまでも無く、カヴィアスもそうだと思っていた。黒い決意は激流と化した負の感情から憤怒だけを抽出すると、他を心の奥底へ沈めていった。
「どうやら、止めることはできぬようだな」
旅人は溜息をついてからそう言って立ち上がった。そしてカヴィアスの方へ歩み寄り、
「しかしこれだけは覚えておけ。復讐は何も生まんぞ」
と呟くと、勘定を払って出て行った。
だからどうした。と、言いたかったカヴィアスだったが、その言葉があまりに重く感じたせいか、言い返す事が出来なかった。
「さて、私達もそろそろ行きましょうか」
「あ、はい」
カヴィアスは瞬時に心に留まった重りを捨てた。そんな考えは今の自分にとって飯の足しにもならない。
そうだ。飯の足しと復讐、この2つが同時に賄えるのであればマルスはこれ以上ない程素晴らしい職場じゃないか。カヴィアスはそう考えたからだ。
だが何故これをあのとき言えなかったのか。カヴィアスは旅人の前で言えなかったことを悔やんだ。
クラハムシティの港の光景に、カヴィアスは再び圧倒された。それまであった石柱型の建築物は影を潜め、替わりに聳えたっていたのが木造の帆船であったが、その迫力は石柱型の建築物とは比べものにならなかった。
こんなモンが動くのか?船を見たカヴィアスは、その巨大さに帆船が乗り物だという事が信じられなかった。カヴィアスは船の事は知っていたつもりだったが、実際見て船が此程馬鹿げた外見をしているとは思わなかったのだ。
そんな馬鹿げた乗り物がずらりと並んで佇んでいる光景に、カヴィアスは正直興奮を覚えていた。人混みや生臭い海独特の空気も、港においては全く気にならなかった。
カヴィアスは興奮が増す毎に、期待も大きくふくらんでいった。島国であるマルスに行く為の船がどんな船なのか、もはや想像も出来ない。
「これが私の船です」
しかし、青い男の船はカヴィアスの期待を大きく裏切った。港の端に停泊していた青い男の船は、中途半端に大きな箱船だった。当然純粋な大きさはそれまで見ていたどの帆船よりも小さく、更に帆が無い為見るものを圧倒する迫力もない。
「なんか全然違うっすね。他の船とは」
カヴィアスの興奮は一気に冷めた。そして今まで興奮、期待していた自分が馬鹿に見え、少し惨めに感じ、自然と嫌味のこもった台詞を呟いていた。
「そうですね、最新型の船ですから」
青い男はそんなカヴィアスの心情を知ってか、自分の船をフォローするような台詞を言った。
言われてみれば。カヴィアスはその船が色々と他の船と違う事に気付く。その船は帆船と違い、金属で出来ていた。また、他の船よりスマートで、純白の船体からは高級感が滲み出ていた。しかし好みで言えば、やはり巨大な帆船の方が良かった。圧倒的なスケールの前には、スマートさと高級感など霞んで見える程どうでも良い要素だったからだ。
カヴィアスは青い男に続いて船へ乗り込んだ。甲板は殆ど何もなく殺風景で、彼にとって面白い事と言えば歩くたびにカツカツと乾いた音がするくらいだった。
「じゃあそろそろ出ますよ。中に入りますか?」
青い男は船内に入る前に、甲板を歩き回るカヴィアスに聞いた。
「あ〜はい、そうします」
カヴィアスは青い男に続いて船内へ入った。
流石は高級感を滲み出す船。その内部はカヴィアスの想像していたより数段素晴らしかった。そこは個室であったが、内装のどれをとってもカヴィアスの住んでいた家より遙かに豪華だった。
「なんか立派スね」
「無駄に豪華でね」
青い男は少々自嘲気味に笑った。カヴィアスも一緒に笑い、その後におかしい事に気付いた。何故、この男が目の前に座っているのか?
「あの、船は誰が動かすンスか?」
それ程大きくないこの船内で、この男以外に乗組員を見てはいなかった。他に部屋はありそうでない。この個室も甲板へ通じる出入り口以外にどこにも通路も出入り口も見あたらない。もしくは甲板に違う出入り口があったとも思えたが、なら誰もこの男が来たというのに顔も出さないのはおかしい。カヴィアスは疑問が浮かんだ後すぐに訊いた。
男は 「ああ」と声を漏らした後に言った。
「この船はかってで動くんだ」
「は?自動で?」
カヴィアスが呆れ半分で驚き、 「そんな船ある訳無いスよ」と言おうと口を開いたその瞬間、カヴィアスの体は一瞬だけ起きた微弱な振動を感じ、カヴィアスは言葉を飲み込んだ。青い男は 「動いたでしょう?」と言うかの様に笑みを浮かべて見せた。
カヴィアスは窓の近くまで駆け寄り、外を見た。もう周りに泊まった船など無く、港も遠い後ろの方で小さく見える程度だった。 この船の航行速度が恐ろしく速い事は、高速でスクロールしていく海面を見れば一目瞭然だった。
「す……凄いッスねこの船」
「そうでしょう。魔法力エンジンを動力機関に使ってますから従来の船より遙かに効率よく、そして高速で航行できます」
「は?まどう?」
カヴィアスは青い男の説明が解読すら出来ず、最初は困惑したが、男の台詞を脳内で咀嚼することで、すぐに台詞の意味が分かった。
「まどうって、魔法の力って意味ですか?」
カヴィアスは頭の中で浮かんだイメージの正否を、言葉にして男に聞いた。何とも馬鹿げた話だとはカヴィアス自身も思ったが、他に合点のいく説明は見あたらなかった。
「そうです。童話等でよく老婆等が使う魔の力。魔法です。他に呪術、超自然術等色々言い方はありますが……それらのような力でこの船は動いてます」
「何か信じられない話ッスね。魔法なんて」
カヴィアスはそう言ったが、今の彼自身は魔法の存在をそれ程疑わしい存在だとは思っていなかった。3日前に魔法としか思えない技を見ていた彼は、寧ろあって当然だろうという認識すらあったからだ。無論、3日前以前のカヴィアスなら、魔法の存在は否定していただろうが。
「言葉の響きが夢物語チックですからね。しかし今人類にとって最も重要とされている技術ですから、その様な台詞は 「自分は無知だ」と言っているようなものです。気を付けて下さいね」
どうせ自分は田舎ものだよ。と、カヴィアスは口の中で言った。
「例えばさっきの街のビル。あれは地属性の魔法を用いて作られた建築物です。あれらは岩石や鉱物を高いレベルで接合、合成する事で強度、硬度ともに高い素材で出来た建築物ですが、それも魔法無しでは作れません」
「へぇ〜」
男の話を聞いたカヴィアスの脳内に、呪文を唱えて次々とビルを地面から生やしたり、完璧に舗装された道路を作ったりして土木工事を行っている、ローブを来た老齢の魔法使い達の姿が浮かんだ。
「但し。魔法は人間が気軽に使える術ではありません」
「そうなの?」
男の注釈を聞いた瞬間、カヴィアスの脳内映像は音を立てて崩れ落ちた。
「あらゆる魔法は、地球上のあらゆる場所にある超自然エネルギー体『マナ』を操作することで発現します。このマナは通常自然界では一切の反応はしません。つまりマナを操作する事は生身ではまず不可能なのです」
「あ〜ちょっと分からないンですが」
「えっと。今君の周りにもマナが満ちあふれていると思いますが、そのマナを認識できますか?」
「いえ」
「認識できないものをどうやって操作できるでしょう?」
「ああ。成る程」
カヴィアスはその短い説明で理解した。
「現在では2通りの方法で魔法が使われています。1つは魔導器と呼ばれる装置を装備して、魔導器の補助によって魔法を発現させる方法。もう1つは魔動機と呼ばれる機具を使って魔法を発現させる方法です。一般では魔動機を用いることが多いです」
「どう違うンスか?魔導器と魔動機は」
「魔導器はいわば体に増設する人工器官です。魔力伝導、操作、調節をまかなう装備ですが、その為に装備者自身の体力を消費します。また、魔法技術も装備者に依存する為、有る程度以上は技術を学んでいないとろくに魔法を扱う事は出来ません。また、装備者の能力、または魔導器の性能を大きく上回る魔法を行おうとすれば、たちまちマナは暴走し、装備者の体は深刻なダメージを受け、最悪死亡、爆発します」
「うぇ……」
カヴィアスは細かい部分は理解しきれなかったものの、魔導器がどういうものかは大体理解した。
「そして魔動機は、いわばマナで動く機械です。魔法発現プロセスを人体を介してでは無く、機具の中だけで行うものです。魔法技術に疎い人でも、その機械の操作方法さえ分かれば簡単に扱えるので、これこそ大衆向けですね。欠点は予め組んでおいたプロセスしか行えないので自在に魔法を使えない事ですね。また、魔法発現プロセスの最初であるマナの活性化には未だ大型の装置が必要な為、大体は活性化済みのマナを内包したマガジンをセットする事で魔法に必要なマナを供給します。つまり、魔導器とは違って自身の魔法技術では補えきれない欠点が存在するという事です」
「……へぇ……成る程」
カヴィアスは、魔動機に関しては 「便利な機械」位しか認識できなかった。
青い男はそんなカヴィアスを見て、頬杖をつきながら不吉な笑いを浮かべた。
「分かりました?」
「あ、はい」
嘘は吐いていない。魔法という存在があるという事と、それを用いるには2つの用法がある事、その2つの用法に必要な魔導器と魔動機の大まかな性質は分かっていたからだ。だが、男の説明を全て理解したというなら、それは嘘になった。青い男は、カヴィアスの隙を見抜いたかのように問いかけた。
「なら、あの街の土木工事では魔導器と魔動機、どちらを使ったと思われるでしょうか?」
「え?あ?あぁ……魔動機、かな?」
カヴィアスは乱雑な知識をかき集め、何とか答えた。
「正解。ですがそれは即答レベルですよ。じゃあ、魔法使いみたく自由に魔法を使うには魔導器と魔動機、どちらが適切ですか?」
「魔導器」
今度はさっきより早く答える事が出来た。この問いは魔導器と魔動機の性質の、基本的な違いを理解すれば簡単に答えられるものだと、カヴィアスは理解していたからだ。
「正解。じゃあ最後に、兵器として優れているのは魔導器ですか?魔動機ですか?」
「へ?あ、あ〜〜〜〜」
カヴィアスは乏しい知識をかき集めて考えたが、答えにはたどり着かなかった。最初は魔動機と思ったが、確信が無く、かといって魔導器とも思えなかった。暫く考えたあげくカヴィアスは 「分かりません」と言って首を振った。
答えを聞いた男はカヴィアスと同じように首を振り、答えを言った。
「答えは一応魔動機です。しかし熟練した兵士が魔導器を用いれば、現状にあるどの携帯式魔動機よりも強力な魔法を使うことも出来るでしょう。ですがこれは、逆に言えば熟練した魔法使いでない限り、戦場で魔法を使うには魔動機で事足りるのです。分かりましたか?」
「はぁ……しかしその問題はちょっと難しいスよ」
「あと、これは魔動機魔導器どちらにも当てはまりますが、製造に高い技術と高額なコストを必要とします。現状において一般兵士にまで魔動機が量産、配備されている軍はほんの一握りです」
「作るのも買うのも難しいってことッスか?」
「高級品てことですよ」
高級品。青い男の言ったその単語のお陰で、カヴィアスの脳内に村を襲った赤い者の姿を浮かび上がった。激しい炎を自分の意のままに操る赤い者の姿。それは明らかに魔法による所業だった。なら、赤い者は魔導器か魔動機を装備していた事になる。高級品とはいえ、個人で所有できる程、魔法機(器)具は一般にも流通している事になる。カヴィアスはこれを嬉しく思った。赤い者と同レベル、またはそれ以上の魔法機具を装備すれば、同等かそれ以上の力を得る事が出来る。即ち赤い者を屠るのも夢物語ではなくなるということだ。
カヴィアスは再び外見た。もう外は一面大海原と青空の青のみの世界で、陸地などは全く無かった。あまりに一色に染まっていたので、境界線や波の打つ様等も曖昧にしか見えなかった。
カヴィアスは其の先の見えない景色に、暫く虜になっていた。
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